清和源氏の隆盛と衰退
兵庫県は「平清盛」の舞台として観光PRしているが、摂津は多田源氏の発祥の地である。
宝塚市千刈貯水池の北岸にある波豆(はず)八幡神社の祭神は誉田別尊(応神天皇)。応永10年、源満仲の弟、源満政の創建と伝えられる。源満仲は安和2年に起こった安和の乱で実力をみせ、清和源氏の名を高めた。摂津国多田荘を領地としたため、多田満仲とも呼ばれた。満仲の子、頼光、頼親、頼信も異色の武勇人として台頭し、それぞれ摂津源氏、大和源氏、河内源氏の流祖となった。頼義、義家父子が前九年、後三年の役への出兵で東国にその名を馳せることで、源氏の東国での人気が高まった。だが義家の子、義親が九州にて反乱を起こして、為義の時代には衰退していく。
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