なぜ本を読まなければならないのか?
フランス文学者の鹿島茂さんの話。「なぜ本を読まなければならない」という演題で講演してほしいと公共図書館から依頼された。鹿島は悩んだ。鹿島の説によれば、いまから百年ほど前までは、本など読んでもなんら役に立たない、というのが社会の常識だったという。この常識に対して大正教養主義の人たちが読書をすすめたという。たとえば白樺派や赤い鳥の人たちだろうか。世界文学全集や百科事典、絵本や童話などが薦められた。ただし、下層、中産階級の人たちにとっては、読書で得た知識で競争を勝ち取るには、まだるっこい、面倒くさい、と感じる人たちが増えてくる。昭和40年代、たとえばファッション、スポーツ、車、というモノで「ドーダ」を誇示するようになる。だが鹿島自身は、「読書には速効性はないものの、遅効性のサプリメント的な効果がある」といっている。この表現は流石に上手い。そして読書の効能は「今になって振り返ってみれば」という事後的には明白であるものの、若い人たちにどのように勧めたらいいのか悩む。結論は、「理由は聞くな、本を読め」だそうだ。
これは「子供より古書が大事と思いたい」など刺激的なタイトルの本を出版されている人の見解であって、あくまで鹿島流である。鹿島のいう大正教養主義が端緒であるとすれば、小泉信三の「読書論」(岩波新書)が最もクラシックであろう。「なぜ本を読まなければならないか」というテーマは結局、読書論としてかなりの量の文献がある。図書館関係者もこのテーマに関しては多く語っているが、読書推進や良書普及という目的が前提にあるようで、学際的な研究にはなっていない。むしろ子供の読書を対象とすることが多いので、「本を読みなさいって言わないで」というスタンスのものが多い。自然に身近に本がある環境をつくることで本好きにさせようという考えである。しかし皮肉なものですべてに恵まれているとかえって当たり前になって本との出会いの喜びや感動を知らなくなることもある。
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