2人のシンデレラお玉とトンイ
BSプレミアムの韓国ドラマ「同伊(トンイ)」も終盤になる。貧しい身分ながら王の側室となり、後の名君主、英祖を産み育てるトンイの波乱万丈の生涯を描く。監督は「大長今」「イ・サン」の時代劇の巨匠イ・ビョンフン。主演は「春のワルツ」のハン・ヒョジュ、「大長今」のミンジョンホ役のチ・ジニ。ところで、時代はいつ頃の話だろうか。歴史年表で調べないと、東洋史専攻の私でもわからない。粛宗は朝鮮王朝第19代の王で在位は1674年から1720年と長い。徳川綱吉、家宣、家継、吉宗の時代である。清は康熙帝のころ。つまり、粛宗、吉宗、康熙帝と東アジアに名君が君臨した安定した頃である。
トンイ(同伊)の正式名は淑嬪崔氏(スッピン・チェシ 1670-1718)。宮廷のムスリ(雑事を担当する下女)出身。第19代粛宗の嬪(側室の最上位)となり、第21代英宗の生母となった。徳川に比定すると綱吉生母の桂昌院(1646-1709)に近い。庶民出身でありながら女性として最高位についたこと、玉の輿の元祖である。
阿玉(お玉 1624-1705)は寛永4年、京都の八百屋仁左衛門の二女として生れたが、母が本庄太郎兵衛宗利に再嫁し、その養女となった。寛永16年、13歳のときお万(永光院)に従って江戸城へ下り、家光の寵愛を受けて徳松(綱吉)を生む。延宝8年家綱が没し、綱吉が将軍になると名実ともに大奥の実権を握った。お玉には宿敵お夏がいたし、トンイにはヒビンがいた。お玉が1702年には女性として最高位の従1位に上った。トンイはすでに1699年に淑嬪(正一品相当)となっている。朝鮮王朝に王妃は1人しかいない。後宮は、側室であり、それぞれ序列があり、上から嬪、貴人、昭儀、淑儀、昭容、淑容、昭媛、淑媛という。お玉とトンイ、2人のシンデレラはよく似ている。
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