ローマ帝国と邪馬台国
カラカラは弟ゲタを殺害したのち、彼の肖像画の顔を塗りつぶさせた
テオドシウス帝の死後まで約400年続いたローマ帝国と邪馬台国とでは歴史上の比較にならないが、セプティミウス・セウェルスの妻ユリア・ドムナ(170-217)と卑弥呼(170-248)とがほぼ同時代生きて、かつ女性でありながら帝国の最高権力者であったという共通すべき点がみられる。またユリアはシリアの太陽神エル・ガバルの祭祀の家系で、鬼道に仕えたシャーマン卑弥呼と共通している。
ユリアには2人の息子がいた。夫の死後、息子のマルクス・アントニヌス(愛用した上着の名称をとってカラカラと呼ばれた)とゲタが共同皇帝として即位した。2人はたえず反目しあい、それぞれローマの多数の取り巻きを集めたが、最終的にカラカラが勝利を収めた。即位してわずか数ヶ月後に、ゲタを殺害させたのである。カラカラ帝の名は、大浴場の遺跡によって、今日一般には有名であるが、歴史的に重要なのは、この弟を殺した翌年に彼が発布したカラカラ勅令である。この勅令は、ローマ帝国に住む全ての自由人にローマ市民権を与えることを宣言したものである。それはカラカラ帝がアフリカ人とシリア人の混血だったということと大きく関係している。
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