ネヴァ河の幻想
1821年、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーはモスクワのマリヤ貧民施療病院(現在、国立結核予防研究所)の官舎で生まれた。父ミハイル・アンドレイェヴィチは退職軍医、母マリア・フョードロヴナはモスクワの富裕な商家の出で、音楽や詩にも秀でた心の優しい女性だった。17歳のとき陸軍工兵学校へ入学、22歳でぺテルブルグ工兵隊に編入、製図課所属となった。1844年1月、23歳のドストエフスキーは、工兵隊に勤め始めてまもなく「ネヴァ河の幻想」と呼ばれる不思議な体験をした。
その時、もうひとつの物語が私の目の前に浮かんできた。どこか暗い貸間、ある正直で心の清らかな九等官、彼とともに登場するのは、辱しめを受け、悲しみに打ち沈んだある娘。こうして彼らの物語全体に私の心は深くえぐられるような思いがした。
これはドストエフスキーの文学の出発点を形づくる創造的啓示の瞬間であった。彼は文学に対する溢れるばかりの情熱を消しとめることができず、やがて工兵隊を退職し、失敗したらネヴァ河に飛び込む覚悟で「貧しき人々」の執筆に専念した。原稿は友人のグリゴローヴィチの手はずで、詩人ネクラーソフのところへ持ち込まれた。ネクラーソフは夜明け近くまでかかって原稿に目を通したあと、早暁、ドストエフスキーのアパートを訪ね、新進作家誕生を祝福した。2日後、無名の一青年はついに大批評家だったべリンスキーに引き合わせられ熱い賛辞を受ける。ドストエフスキーは後年「これは私の生涯のうちでもっとも感激的な一瞬だった。私は徒刑時代にこの時のことを思い出しては勇気を奮い起こしたものだ」と回想している。
ドストエフスキーの晩年は比較的落ち着いた幸福な時期であった。1881年2月9日、サンクトペテルブルクで永眠した。享年59歳。
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