有栖川宮家断絶
有栖川宮家は、寛文12年(1672)6月8日、幸仁親王が有栖川宮という宮号に改称したことに始まる。9代熾仁は戊辰戦争において東征大総督として参加、官軍を率いて東下した。その後、明治28年、日清戦争において、広島大本営に下るが、この地で腸チフスを発病し、神戸舞子で薨去した。明治41年4月、10代威仁親王の子、栽仁王が病没し、大正2年7月には、当主の威仁親王が薨去した。旧皇室典範の規定により、威仁親王妃の病没(大正13年)後、妃の1年祭以後に廃絶となった。
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