ルビコンを渡る
ローマの歴史上よく知られるアドリア海に注ぐルビコン川はそれほど大きな川ではなかったらしい。現在の地理で比定してリミエ付近のたくさんの川の中からそれらしいと思う川をさがすと、フィウミキノ川やウソ川とする説はあるが定説となるまでにはなっていない。
紀元前50年の厳冬から、カエサルは属州ガリア・キサルピナとローマの国境近くに野営していた。このときカエサル53歳。翌年の1月7日、元老院はカエサルに対して、定められた期日までに属州の支配権を放棄しないならば、国家の敵として彼を扱うとして決議し、最後通牒をつきつけた。追いつめられたカエサルは、自分の採るべき途について沈思する。ギリシアの喜劇詩人メナンドロスの詩句「賽を投げよ」がときおり脳裏をよぎる。カエサルは力強く決断した。「賽は投げられたり」と。そして軍を率いてルビコンを渡り、ローマへと進軍した。ラテン語で「Alea iacta est」(アーレア・ヤクタ・エスト)、英語では「The die is cast.」
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