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2012年1月16日 (月)

竹村健一の原発安全神話

    パイプを銜えながら「大体やね」と独特の関西弁で辛辣な批評をする竹村健一。最近あまりテレビで見ない。かつて「原発危険は日本人のカン違い。原発は安全、それが世界の常識」「原発事故ではなくトラブルだ」「日本人は原発アレルギー」とテレビや著書でさかんに言っていた。フジテレビの番組「世相を斬る」や文藝春秋で上坂冬子と対談していた。日本で「脱原発」という言葉が生まれ、それなりの反対運動が起こったのは1986年ころのことで、チェルノブイリのあとのことで保守派の評論家やメディアは原発の安全性をさかんに広告しだした。竹村健一は「日本の常識 世界の非常識」(幻冬社、2005年)で原発事故と飛行機事故を比べてこのように書いている。(同書73頁)「たとえば飛行機に乗るとき、絶対安全だとは言いきれない。初期のころ飛行機に乗った人はさぞ怖かったことだろうと思う。あんなに大きくて重いものが空中に浮いて、飛んでいること自体、実感としは危険なのではないかと感じてしまう。現実に事故が起これば、生存の可能性もかなり限られる。だが、飛行機に乗って事故に遭い、死ぬ確率はかなり低い。日常当たり前のように利用し、自分で運転する自動車とは比べものらならないほど事故死の確率は低いのだ。ともすれば日本人は、1つの危険にとらわれ、過大視して、他との比較ができなくなってしまう。原発についての多くの日本人の感覚にも同じような傾向がある。(中略)そのうえで、情報をバランスよく整理、分析し、どうするのがいいのか、国民の合意を得ていくのがいいだろう。」つまり竹村は原発事故は起こり得るものであるが、原発問題を感覚的なものとして、「飛行機事故のようなもの」と言っている。福島原発事故以降このような認識の評論家はいないだろうが、わずか6年前の著書でこのような意見が平気で通っていた。

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