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2012年1月23日 (月)

「リッタの聖母」の謎

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 レオナルド・ダ・ヴィンチ「リッタの聖母」 1490年頃

   ロマノフ王朝200年の都サンクト・ペテルブルクが「北のパリ」として欧州に名を馳せるのは、18世紀後半のことである。エカテリーナ2世は、学芸を奨励し、美術品を数多く収集した。王宮は現在エルミタージュ美術館として一般公開されている。エルミタージュ Hermitage とは「隠遁者」の意。数ある美術品でもダ・ヴィンチの「リッタの聖母」はとくに尊重されている名品の一つであるが、一方この作品をレオナルドの真筆とはみなさない学者もいる。制作のもとになったらしい素描もルーブル美術館にあるが、反論者たちは仕上げは弟子の手によると主張している。ケネス・クラークは、この作品は過去にすくなくとも2度顔料が塗り直されており、1度はミラノの画家によってこの絵が仕上げられたとき、2度目は19世紀に板からカンバスに移行されたときであるとし、レオナルドの真筆説を否定している。おそらくレオナルドの前記の素描のほか、いくつかの素描をもとに弟子が仕上げたものであろうか。クラークはジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ(1467-1516)の初期の仕事であると想定している。

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