赤染衛門の父親は誰か?
百人一首「やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな」の作者として知られる平安中期の歌人、赤染衛門(この歌の作を馬中将との説がある)。「栄華物語」の作者ともいわれる赤染衛門だが人気、知名度は紫式部、清少納言ほど高くはない。赤染衛門は赤染時用(ときもち)の娘とされるが、そのころ時用が衛門尉であったところから、父の官名によって衛門と呼ばれた。『袋草紙』によると、赤染の母ははじめ平兼盛の妻であったが、離婚した際、妻は既に妊娠しており、赤染時用と再婚したあとに赤染衛門が生れた。兼盛が娘の引渡しを求めて、裁判で争ったが認められなかった、という話が伝わる。曾孫の大江匡房の伝えで信憑性が高い。(斎藤照子「赤染衛門の周辺 平兼盛と大江匡衡」文学・語学9 1958年)
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