服部嵐雪
服部嵐雪(1654-1707)淡路三原の服部喜大夫高治の子。江戸に育ち、20歳ごろ新庄隠岐守に、つづいて井上相模守に仕え、24歳ごろ芭蕉に入門した。芭蕉死後は江戸の俳壇を其角と二分して多くの弟子を養成した。作風は平明温雅。
元日や晴れて雀のものがたり
梅一輪一輪ほどの暖かさ
ふとん着て寝たる姿や東山
時鳥啼くや利休の落し穴
秋かぜに心うごきぬ縄すだれ
石女の雛かしづくぞ哀れなる
濡縁や薺こぼるる土ながら
竹の子や児の歯ぐきのうつくしき
真夜中やふりかほりたる天の川
名月や烟はひ行く水の上
沙魚(はぜ)釣るや水村山廓酒旗の風
黄菊白菊その外の名はなくもがな
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