無料ブログはココログ

« 光陰矢のごとし | トップページ | リカルド・モンタルバン »

2012年1月16日 (月)

樋口一葉と夏目家との破談の真相

    樋口一葉は明治5年5月2日(旧暦3月25日)、東京府第二区一小区内幸町一丁目一番屋敷、東京府構内長屋の官舎で生れた。戸籍はなつ、本名・樋口夏子といった。父・樋口為之助は天保5年生まれで、南町奉行同心であったが、維新後は東京府庁に勤めていた。明治になって名前を樋口則義と改めた。明治9年12月に東京府を退職した。明治14年3月、則義は警視庁警視属になったが、家計は苦しく、生計の苦労はたえなかった。

    明治19年頃、15歳の夏子に縁談話があった。相手は名主をつとめる夏目家の長男・大助(1856-1887)である。夏目小兵衛直克(1817-1897)は警視庁につとめ、樋口則義の上司でもあった。つまり夏目漱石の兄・大助の嫁に樋口一葉をどうかという、縁談があったのは事実であろう。しかし、翌年、大助は他界し、破談となった。一説によると、漱石と一葉との間に縁談があったのではないか、という新説もあるが確証はない。則義が度々直克に借金を申し込んだことがあり、これをよく思わなかった直克は、「親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない」と言って、破談になったという説もある。

    明治22年には樋口則義の事業が失敗し破産しているので、縁談はすすまなかったであろう。3月、死期が迫った則義は、一葉の将来を心配して、渋谷三郎に婚約をたのんでいた。しかし、7月に則義が死去し、樋口家が破産したことを知ると、渋谷は婚約を一方的に破棄した。同年、夏目金之助は英文学を志し、漱石の号を初めて用いた。翌年、樋口なつも小説家になることを決意し、一葉の号を用いた。

100_higuchi31
樋口則義(1830-1889)

« 光陰矢のごとし | トップページ | リカルド・モンタルバン »

「日本文学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 光陰矢のごとし | トップページ | リカルド・モンタルバン »

最近のトラックバック

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31