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2012年1月 5日 (木)

伏見城の戦いの謎

    関ヶ原の戦いの前哨戦ともいえる伏見城の戦いは西軍の勝利となった。なぜ家康は伏見城を僅かな守備兵にしたまま、会津攻めに向かったのだろうか。

    1600年7月、西軍の小早川秀秋、島津義弘らは4万の大軍を率いて伏見城を包囲した。これに対して東軍は1800人。総大将の木下勝俊は早々と戦わずして逃亡する有様。副将の鳥居元忠が奮戦するも討死。8月1日、伏見城は炎上、落城する。西軍の勝利ながら、数日で落とせるはずのところ、10日以上要したことはその後の美濃・伊勢攻略の遅れとなった。家康は石田三成らを挙兵させる囮作戦だったのかもしれない。敵前逃亡の木下勝俊は本来ならば死罪であるが、北政所の庇護を得て、命を助けられている。勝俊は京に隠棲し、歌人として名をなしている。

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