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2012年1月24日 (火)

春藹と秋水

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 幸徳秋水と管野スガ

  幸徳秋水(1871-1911)。本名を伝次郎といい、高知県幡多郡中村町に生れる。父・幸徳篤明は早く亡くなり、母・多治は女手ひとつで4人の子を育てた。伝次郎は明治20年に林有造(1842-1921)を頼って上京し、同年末、保安条例発布により東京から追放される。翌年、同郷の中江兆民の学僕として住み込み、その思想・人格に感化される。中江家は貧乏で、いつも豆腐と葉っ葉だった。「自由新聞」に入るとき、兆民が言った。「処世の秘訣はもうろうとすることだ。号はぼんやりと春藹(しゅんあい)としたらどうだろう」「ぼんやりはきらいです」「そんなら、反対に秋水はどうだ。とぎすました鋭利な刀を秋水という。

   幸徳秋水は、明治44年1月24日に明治天皇暗殺計画を理由に絞首刑となるが(大逆事件)、名刀でなく春がすみだったら、彼の人生も変わっていたかもしれない。

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