無冠の帝王・丹那トンネル
日本橋にあった「東急百貨店」はずいぶん前に「コレド日本橋」に変わっていた。石川さゆりが歌う「♪上野発の列車降りたときから青森駅は雪の中」も今では東北新幹線で「はやぶさ」に乗って、上野ー青森間を夜行列車で行くというのは昔語りになるだろう。青函連絡船は青函トンネル(1988年)、碓氷峠のアプト式列車は長野新幹線(1998年)、羽田空港は成田国際空港(1978年)、小牧空港はセントレア空港(2005年)、蔵前国技館は両国国技館(1985年)、後楽園球場は東京ドーム(1988年)、宇高連絡線は本四架橋(1995年)、そして東京タワーもその王座を来年には東京スカイツリーに奪われるだろう。正月のテレビガイドの表紙はSMAPではなくて、嵐だった。
プロ野球の清原和博は通算400本塁打以上を打ちながら打者三冠タイトルを一度も獲得していないので「無冠の帝王」といわれる。(ただし新人王やベストナインなど各賞は数多く受けている)この清原のような存在は日本トンネル史でいうと「丹那トンネル」にあたるだろう。丹那トンネルの名前は子どもたちが社会科で覚え、日本一のトンネルとして知られている。東海道線熱海-函南駅間にある丹那トンネルは1918年に着工し、16年の歳月を要して、1934年に完成した。全長7804mは清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さであった。(ただし鉄道用複線トンネルでは日本最長だった) 丹那トンネルが人々の記憶の残るのは、おそらくトンネルを通過するまでの時間がかかるからだろう。丹那トンネルの存在は今では昔語りとなったが、無冠の帝王として日本トンネル史上に確固たる地位を占めているのである。
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