芭蕉と内蔵助と喜剣
松尾芭蕉(1644-1694)と大石内蔵助(1659-1703)はほぼ同時代人物といってよい。討ち入りのときすでに芭蕉は他界しているので2人に話の接点はない。だが村上喜剣という薩摩浪士がいる。浪曲や講談の世界ではよく知られた人物なので紹介しよう。
大石内蔵助は京都の一力茶屋で、連日放蕩を尽くしていた。そこへ村上喜剣が来合わす。「天下の名家老といわれた大石がこのさまは何事だ。主君の仇討ちを忘れ、酒と女にうつつをぬかすとは、大石ではなくて軽石だ。この腰抜け、武士の風上にもおけぬ人でなし、犬さむらい」と罵って顔に唾をはきかけ立ち去った。そのあと、喜剣は江戸へ戻り、日本橋から白河、松島、平泉を経て、日本海に出て、東北の名所旧跡を巡り、江戸に着いたのは元禄16年のある日。品川は高輪で墓参の人々に出会う。そこで初めて喜剣は義士の討ち入りを聞くに及んで、萬松山泉岳寺の大石内蔵助の墓前に額づき、自分の不明を詫び割腹した。
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