忽然と消えたあの名曲
昨年の今ごろ植村花菜「トイレの神様」の紅白ノーカット出場が話題であった。紅白は1組約3分ほどの歌唱時間が定番で、出場歌手の間で差がないようにほとんどの歌がカットされてきた。国民的歌手・三波春夫の長編歌謡浪曲「紀伊国屋文左衛門」などは別格扱いだった。新人・植村花菜に対しては持ち時間10分は破格の扱い。トイレを通して祖母とのきずなを歌った作品。NHKとしては紅白発の大ヒットを狙った。そして大晦日は家族で「トイレの神様」を聞き日本中が泣いた。新春特別ドラマでは芦田愛菜・北乃きいでまた泣いた。翌年1月「トイレの神様」は紅白効果でさらに売上げが伸びた。だがこの一年、不思議なことに「トイレの神様」が全然聞かれなくなった。まるで日本人みんなでこの歌に封印をしたかのようである。おそらく潮目は3月の東日本大震災であろう。家族を亡くされた人にとってはあまりに辛すぎる歌だった。マスコミもそれに配慮したのであろう。自粛ムードの鉾先はすべて「トイレの神様」に向けられた。それに加えて、「トイレの神様」に対するネット上での非難が多くなった。「泣ける曲」をセールスすることへの反発であろう。メッセージ性のある音楽は感動するのも早いが、飽きられるのも早い。理不尽な話ではあるが、大衆とは気ままなものである。穿ってみれば、大衆の不満や憎悪を他にそらすために「トイレの神様」が一種のスケープゴートになったように思える。だが10年、20年経つと「トイレの神様」が家族団欒で聞いた思い出の一曲となるかもしれない。世間の毀誉褒貶を嘆いても仕方ない。花菜ちゃん、今年の紅白は炬燵みかんでのんびりと観ようよ。
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