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ロシア遠征に失敗したナポレオンは連日苦戦をしいられた。1814年には連合軍のパリ入城、ウィーン会議が開かれていた。だが翌年、エルバ島を脱出したナポレオンは最後の戦いワーテルローへ兵を進めた。ワーテルローでナポレオンが敗れたのは一つの文書のためだという。「援軍よこせ」とある命令書がナポレオンの悪筆のため、「うまくいっている」と誤解されて、援軍が来なかったからだといわれている。
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