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2011年12月14日 (水)

現代に生きる論語

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    いまでも高校漢文に論語は載っているはずである。しかしそれは理解しやすい章句だけが引用されているにすぎない。全文を理解しようとすれば相当の時間と労力を要するであろう。私は一度も全文を通読したことはない。理解しやすい章句をつまみ食いするだけである。論語は士大夫について述べたものである。だから文字を知らない一般庶民には無関係の話である。たとえ文字を知っていたとしても「士」としてみなされることは高いハードルがある。「士にして居を懐うは、もって士となすに足らず」(憲問篇)。「居」とは「安座」の意で、自分の郷里・家庭・地位など、すべて自分の安逸の情をみたしうるところ。衣食住や富、地位ばかりを求める人間は、とうてい士としての資格がないというのである。ではどういう人間が孔子の理想なのであろうか。「疎食を食らひ、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみもまたその中に在り。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし」(述而篇)とある。

   「疎食を食らひ、水を飲み」の章句は古来有名ではあるが、高校漢文の教科書にはあまり採用されたのをみたことがない。やはり明治以来、富国強兵と立身出世はセツトになっているので、青年に隠逸思想を鼓吹することは憚られたのであろう。現在のテレビのバラエティ番組はじめ多くの書物にある思想は、富と地位をえることが人生の努力目標となっているようなので、論語ほど無用なものはあるまい。退職して金も栄誉も無関係な状態になってはじめて、金言の価値を理解できるものである。

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