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2011年12月 8日 (木)

いかなる人物でも英雄視することは危険である

   日米開戦から70年。過去の人類の歴史をみれば危機にある国民は英雄の出現を待望する。フランス革命後のナポレオンの台頭、第一次世界大戦敗戦後のナチスの台頭など。未曾有の国難にある日本でもいまや英雄、ヒーローを渇望しているようだ。今年の流行語大賞が「なでしこジャパン」。いまや国民的人気の娘たちを芸能界がほっておくはずがない。年末年始のテレビはなでしこ一色だろう。ドラマでは「坂の上の雲」も軍人ヒーロー大集合。12月23日から映画「聯合艦隊司令長官山本五十六」も公開される。一方で期待したヒーローから大きく裏切られることもある。2つの金メダルを獲得した柔道家の準強姦容疑による逮捕事件は英雄視することへの警鐘でもある。西洋ではかのダビデ王でさえ過ちを犯すとして、人間の不完全性を戒めている。日本的には郷土愛から地域出身の英雄を讃美、顕彰する気風はあまりに強すぎる。だがいかなる英雄も晩節を汚すことは枚挙にいとまない。明治新政府への反逆者った西郷隆盛、ロッキード事件で逮捕された田中角栄。およそ半年前まで日本のリーダーだった菅直人などいまでも現役国会議員の筈だがほとんどニュースに取り上げられず過去の人となった。所詮、国民とは身勝手なものである。外交官、小村寿太郎は苦労して日露戦争の条約締結に成功したが、勝利に酔う国民は「屈辱外交」として小村を非難し、日比谷焼き討ち事件など各地で暴動が起こった。大陸への足がかりを得た日本はますます増長して泥沼におちいっていく。軍国美談や軍神など英雄視することも進路を誤らせた一因である。いかなる人物でも英雄視することは危険である。

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コメント

全くそのとおりである、人間が同じ人間を過大に信じ奉ることは戒むべきである
その前に
家族を守り困っている兄弟を助け困っている親族を助ける
そういう身近なことから心がけるべきであろう

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