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2011年12月27日 (火)

歴史其儘と歴史離れ

   源頼朝は1198年12月27日に落馬し、それが原因によって、翌年没したといわれる。鎌倉時代は平清盛、源義朝、義経、鎮西八郎為朝など英雄の時代であった。戦国の三大英雄、信長、秀吉、家康もドラマなどで日本人にはお馴染みである。 18世紀のイタリアの哲学者ヴィーコは人類史はあらゆる民族でも神々の時代、英雄の時代、人間の時代とが、つぎつぎ現われ、これらの時代に政治、文学、文明がつくりあげられると考えた。19世紀イギリスの文明批評家カーライルも、世界史とは結局英雄活動の歴史にほかならない、と説いた。カーライルは「英雄崇拝論」のなかで、北欧神話、オーディン、マホメット、ダンテ、シェークスピア、ルター、ジョン・ノックス、サミュエル・ジョンソン、バーンズ、クロムウェル、ナポレオンを論じている。

    ところで一般にわれわれは英雄といえば、ギリシア神話の怪物や野獣を退治したヘラクレスやアテナイをクレタ王の支配から解放したテセウス、あるいはホメロスの詩にうたわれた豪勇で心やさしいトロヤ戦争の英雄アキレスを思いうかべる。中国では周のころから英雄伝説がつくられた。また漢代の司馬遷「史記」が伝える夏、殷、周の古帝王の伝説も、断片的には英雄の性格を現している。しかし中国の英雄像を具現化したのは、「三国志」に登場する後漢末の豪族・武将たちであろう。佚書ながら魏の王粲の著「英雄伝」10巻が存在したと伝えられる。(現在、その一部は「漢学堂叢書」に収められる)混沌とした時代に覇権を競う魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備たちは希代の英雄であろう。わが国では戦国時代の三大英雄はもとより、最近では幕末維新が英雄時代(The Hiroic Age)の宝庫となっている。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の維新の三傑をはじめ、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市瑞山、吉村寅太郎など若き命を燃やした志士たち。幕府を助ける佐幕派からも英雄と呼ばれる群雄は現われた。近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八。こうした英雄像は大河ドラマなどでさらにブームとなっていく。日本史を通じて古今無比の英雄といえば源九郎義経だろう。この颯爽とした源義経の若武者ぶりをみようと、大河ドラマ「草燃える」を見ると、いささか拍子抜けがするかもしれない。このドラマは異色な作品だろう。低視聴率で不人気だったかもしれない。しかし今みると、なかなかよくできた作品なのだ。いまの大河と違って、ヒーロー不在である。主役は北条政子(岩下志麻)だが、源頼朝(石坂浩二)にしても完全無欠のヒーローではなく、表裏があり、明暗があり、陰謀があり、人間的なのである。義経(国広富之)も未熟な若武者に描かれている。そして弁慶が出てこない。「クリープのないコーヒーなんて」というコマーシャルがあったが、「弁慶のいない義経なんて」惨めなものだ。むしろ智謀の士、梶原景時(江原真二郎)が立派に見える。景時といえば、屋島攻撃の際に、舟に逆櫓をつけることを献策して義経に容れられず、これを恨んで頼朝に讒言し、義経を失脚に導いたことで知られる日本史でも最上位に位置する悪役である。それがこのドラマでは文章や弁舌も上手で思慮分別のある名将として描かれている。まさに大人の観賞にたえるドラマなのだ。最近は歴史に縛られず、脚色の面白さを前面に出し、歴史離れを選択したようである。

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