1854年クリミア戦争とナイティン・ゲール
クリミア戦争の始まりは1853年とするものと、1854年とするものがあるが、どちらでもよい。ロシアとトルコが開戦したのが1853年で、同年英仏艦隊もダーダネルス海峡に出動、翌54年、英仏が参戦した。英仏連合軍は1854年9月、黒海に突き出たクリミア半島に上陸した。10月にはロシアの海軍基地セバストポリを包囲するが、翌年まで陥落できなかった。イギリス軽装旅団の無謀な突撃は、ロシア軍の砲弾に撃たれ、被害者が続出した。ロンドンの看護婦となったナイティンゲール(1820-1910)は戦場での惨状についての報道に接して、34人の女性看護師を連れてスクタリに赴き、野戦病院で献身的な看護を重ね、「ランプを掲げる貴婦人」と呼ばれた。彼女は帰国後、最初の近代的看護学校を設立した。
« 金正日総書記、急死 | トップページ | モデスト・ムソルグスキー »
「世界史」カテゴリの記事
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
- ハーグ密使事件(1907年)(2024.02.10)
コメント