勝田新左衛門の堪忍
勝田新左衛門は大竹重兵衛の娘を妻に迎えていたが、凶変後妻を実家に預け、自分は八百屋に身をやつして吉良の様子をさぐっていた。そんなある日のこと、雪の両国橋で、ばったりと舅の大竹重兵衛にでくわした。「暫く姿を見せぬと思ったら、なんじゃそのざまは。御主君の仇討をせぬばかりか、町人になりさがるとはあきれ果てた奴。貴様のような奴に、嫁はやれぬ。離縁致すからさよう心得ろ!」と罵倒した。新左衛門は咽喉まで出かかった言葉を、歯を喰いしばって我慢し、ついに仇討ちの盟約を漏らさなかった。やがて赤穂浪士の討入りがあり、その噂が広まると、大竹重兵衛は義士の中に新左衛門がいたことを知って感激したという。
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