河合その子がいなかったらAKB48のレコ大はないかも
おニャン子クラブのメンバーから最初のソロデビューは河合その子の「涙の茉莉花Love」。この曲がオリコン週間第1位を獲得。1985年9月のことである。おニャン子は3年後解散。河合その子は「落葉のクレシェンド」「青いスタスィオン」などヒットを飛ばすもののわずか5年の短い芸能活動だった。だが、敢えて言おう。河合その子が登場しなかったら、AKB48の涙のレコード大賞受賞もなかっただろう。
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おニャン子クラブのメンバーから最初のソロデビューは河合その子の「涙の茉莉花Love」。この曲がオリコン週間第1位を獲得。1985年9月のことである。おニャン子は3年後解散。河合その子は「落葉のクレシェンド」「青いスタスィオン」などヒットを飛ばすもののわずか5年の短い芸能活動だった。だが、敢えて言おう。河合その子が登場しなかったら、AKB48の涙のレコード大賞受賞もなかっただろう。
「第53回輝く、日本レコード大賞」にAKB48「フライングゲット」が決まった。今夜の紅白の曲目は最初は東日本大震災復興応援ソング「風は吹いている」を前田敦子、大島優子ら選抜18人が歌い、2曲目「フライングゲット」を61人で、3曲目「Everyday,カチューシャ」を210人全員で歌う。メンバーの内訳はAKB48が75人、SKE48が48人、NMB48人が16人、SDN48が37人、HKT48が16人、JKT48が16人。JKTはインドネシア・ジャカルタから来日する。ちなみに台北のTPE48は残念ながら不参加。JKT16人海外組は選りすぐりの精鋭部隊である。幕末の新選組と比較するのはおかしいかもしれないが、規模や資金力では新選組を超えているだろう。新選組は前身である壬生浪士組24人から発足し、全盛時には200人を超えていたと伝えられる。AKB48はじめ6グループをあわせると、紅白出場組だけで総勢210人になる。もちろん紅白に出場できなかった予科メンバーも多数いるだろう。何年か経ったとき、AKB予科練くずれがスポーツ紙の三面の小さな記事を見ることも多いだろう。元AKBの○○離婚とか、飲酒運転とか。それまで長生きしたいものだ。
年忘れAKB48クイズ
問1 AKBのセンターは当り前田の前田敦子。あっちゃんの誕生日は?
問2 大島優子が以前所属していた高見沢がプロデュースしたアイドルユニットの名は?
問3 メンバーでいちばん背が高いのは誰れ?
問4 チームAのキャプテンは?
答え
1 1991年7月10日 2 Dell`s Vox 3 鈴木紫帆里(171cm)。研究生をいれると井口栞里(174cm) 4 高橋みなみ
今年亡くなったエリザベス・テーラーの「いそしぎ」(1965)を観る。映画は上品なメロドラマに仕上がっている。主題曲「君が微笑む幻影」もいい。エリザベス・テーラーが33歳にして少し太ってきた。翌年の「バージニア・ウルフなんてこわくない」ではさらに太っている。結局、美人女優としての代表作はここまでだった。「花嫁の父」「陽のあたる場所」「愛情の花咲く樹」の頃が全盛だった。やはり女優がほっちゃりしてくると格好の話題なる。あの痩せていたミーシャ・バートンの激太りが話題である。
往年の映画女優シェリー・ウインタースも若い頃は抜群のプロポーションだったが、後年太ってからも、「ポセイドン・アドベンチャー」で感動的な潜水シーンをみせた。
NHKスペシャル「坂の上の雲」最終回で夏目漱石が根岸の子規庵に訪れた場面があった。漱石は「大和魂はどんなものかと聞かれたら、誰も見たものはない、誰も聞いたことはあったが、誰も遭った者はいない、大和魂はそれ天狗の類か」と大和魂を茶化した。子規の妹律は「命を懸けて戦っている軍人さんに失礼じゃ」と立腹。慌てた漱石が「怨みじゃ」と弁解し、両手をついて謝るシーン。どうも全体の中で違和感がある。原作を調べてみたが、そのような会話は小説にはなかった。脚本家の創作らしい。元ネタは「吾輩は猫である」の苦沙弥の「大和魂」談義からだろう。生前の司馬遼太郎が映像化を許可しなかった理由は、視聴者が日本海海戦などの勝利の映像場面をみれば、戦争を肯定し、軍人を美化することへのためらいがあるからである。軍国主義の批判的立場にいた漱石に「文学者はいざとなったら軍人に頼るしかない」といわしめ、謝罪するシーンを挿入する必要があったのだろうか。「子規はそう思わない」と律は言い、漱石も「そうじゃなあ」。律は「もっと素直になったら、がんばれって」と締めくくっている。批判せずに体制に順応せよということなのか。あくまでドラマなので軽く見逃そうとは思うが、原作にない余計な場面をなぜ入れるのだろうか。漱石はこのあとに執筆した「三四郎」で広田先生が「日本は滅びる」と言っている。漱石は謝らない。
長く大映で脇役をしていた中条静夫が突如として売れっ子になったことがあった。それまで「ザ・ガードマン」の小森というメンバーの中でも実務的で地味な存在だった中条がテレビでひっきりなしに登場した。「雲のじゅうたん」「赤い衝撃」という人気ドラマの出演はますますその知名度を広めた。最近では大杉漣と平泉成。大杉は「ソナチネ」(1993)を切っ掛けに売れ出し、いまでも年間7~10本の映画に出演している。平泉はドラマ出演が多い。「おひさま」「家政婦のミタ」「あまちゃん」となぜか彼の出演した作品はヒットする。むかし平泉征と名乗っていた頃、「なんたって18歳」でバイガイド岡崎友紀の相手役の運転手だった。いまでは声がしゃがれた元気な伯父さんの役柄が多い。ドラマにはベテランの存在が欠かせない。
次の語の読み方をつけなさい。
1 積悪の門に余殃とどまる
2 余喘を保つ
3 嚠喨たる笛の音
4 輪奐の美
5 他人の事に容喙する
6 絡繹
7 連袂
8 囹圄
9 釐正
10 遊弋
11 潦水
12 僻陬
13 昧爽
14 優渥
15 別墅
16 無辜
17 宥恕
18 防遏
19 夢寐
20 幽邃
答え
1よおう(悪事のむくいとしてくる災禍) 2よぜん(死にかかっていて、なお息のあること) 3りゅうりょう(楽器の音などがさえわたっているさま) 4りんかん(建物の広大・壮麗なこと) 5ようかい(くちばしを容れること) 6らくえき(道路に人馬などの往来が絶え間なく続くこと) 7れんべい(行動をともにすること) 8れいご(ろうや) 9りせい(改めただすこと) 10ゆうよく(艦船が海上を往復して待機すること) 11ろうすい(雨のたまり水) 12へきすう(へんぴな土地) 13まいそう(よあけ) 14ゆうあく(ねんごろに手厚いこと) 15べっしょ(しもやしき) 16むこ(罪のないこと) 17ゆうじょ(寛大な心でゆるすこと) 18ぼうあつ(ふせぎとめること) 19むび(ねむること) 20ゆうすい(景色などが物静かで奥深いこと)
12月28日は御用納め。環境影響評価書を未明に搬入したり、消費税を「13年8%、15年10%」案を発表したり、9人の議員が離党したり、慌しい年の暮れである。役所でも御用納めは一つの区切り。懸案文書をギリギリの28日午後4時過ぎにメールで送り、年内に受理しているとする姑息な手段を管理部門はよくつかう手口だ。財政や人事は話し合いを極端に嫌う。一方的に送りつけて後は素知らぬ顔でお正月。国も沖縄に対してそのような態度のように感じられる。国民に向けての消費税通告もその一連の動きとみるべきだろう。そもそも1989年に3%導入は国にとって都合のよい税目だ。財政破綻すれば5%、10%、13%といくらでも吊り上げればよいからだ。大地震はその理由になるらしい。5%は1997年のことで阪神大震災から2年後。今回の増税論議は東日本大震災を増税の切っ掛けにしている。政治家はますます国民の暮らしを考えなくなった。
勝田新左衛門は大竹重兵衛の娘を妻に迎えていたが、凶変後妻を実家に預け、自分は八百屋に身をやつして吉良の様子をさぐっていた。そんなある日のこと、雪の両国橋で、ばったりと舅の大竹重兵衛にでくわした。「暫く姿を見せぬと思ったら、なんじゃそのざまは。御主君の仇討をせぬばかりか、町人になりさがるとはあきれ果てた奴。貴様のような奴に、嫁はやれぬ。離縁致すからさよう心得ろ!」と罵倒した。新左衛門は咽喉まで出かかった言葉を、歯を喰いしばって我慢し、ついに仇討ちの盟約を漏らさなかった。やがて赤穂浪士の討入りがあり、その噂が広まると、大竹重兵衛は義士の中に新左衛門がいたことを知って感激したという。
ケンジントン公園で鳥笛を吹いて妖精たちと一緒に住んでいる永遠に大人にならない子ども、ピーターパンが登場するのは、バリーの「白い小鳥」(1902)の第6章が最初である。これが1906年に「ケンジントン公園のピーターパン」という本になる。それらとは別に1904年に戯曲の「ピーターパン」が書かれ、これが1911年に「ピーターパンとウェンデイ」という本が出版された。少女ウェンディがピーターパンにネバーランドに案内され、チンクル・ベルなどの妖精と遊んだり、海賊フックと戦う。空を飛ぶこと、負傷することなく戦うこと、相手の血を流さず殺すことができるなど、美と冒険に満ちた、もっとも素晴らしい子どもの世界である。児童作家ロジャー・ランスリン・グリーンはピーターパンを「世界はじまって以来子どもたちと物語作者たちがいだきつづけてきた夢の実現」と評している。
宮本武蔵(1584-1645)と佐々木小次郎との巌流島の決闘から来年で400年になる。武蔵の生誕地をめぐっては兵庫県(播州説)と岡山県(作州説)で争いがあり、はっきりしない。吉川英治の「宮本武蔵」では、武蔵の生誕地を作州の宮本村、現在の岡山県英田郡大原町とした。そのため作州が武蔵の故郷と思っている人も多い。なぜ、故郷が二説になってしまったのだろうか。
生誕地が明確でない一番の原因は、武蔵自身が自分の来歴を詳しく残していないことにある。もちろん武蔵は、著書「五輪書」の中ではっきりと「生国播磨」と記している。しかし、これは播磨の何処なのかまでは明記していないのである。播磨と一口にいっても、現在の兵庫県の約三分の一以上を占めようかというぐらい広範囲を指す。これでは、記しているようでしていないのも変わらない。その本人が「生国播磨」と記したのに対し、長い間一般的に武蔵の生家とされている新免家は、まぎれもなく作州に住んだ一族なのである。
小倉の手向山に武蔵の死後、養子の宮本伊織が設けた碑文には「播州英産赤松之末葉新免之後裔武蔵玄信」「父号新免無ニ」とある。文章は生前の武蔵を知る春山和尚の作によるとされている。この播州がどこに掛かるのかで意味が大きく違ってくる。播州の英産なのは、赤松なのか、武蔵自身なのかである。作州説に立つ人は赤松氏が播州出身であることをいっているのであって、武蔵が播州出身であるとはいっていないと解釈する。そして播州説に立つ人は、武蔵を播州英産としているのだとしている。碑を建てたのは伊織自身であるから、碑文を春山和尚に依頼したとして、草稿のできた時点でおそらく文面を伊織は見ているはずである。もし文面に誤りあれば、特に出自にかかわることについては正したことだろう。解釈の仕方でどちらともとれる文章にしてしまったのが今となっては残念としかいいようがない。
源頼朝は1198年12月27日に落馬し、それが原因によって、翌年没したといわれる。鎌倉時代は平清盛、源義朝、義経、鎮西八郎為朝など英雄の時代であった。戦国の三大英雄、信長、秀吉、家康もドラマなどで日本人にはお馴染みである。 18世紀のイタリアの哲学者ヴィーコは人類史はあらゆる民族でも神々の時代、英雄の時代、人間の時代とが、つぎつぎ現われ、これらの時代に政治、文学、文明がつくりあげられると考えた。19世紀イギリスの文明批評家カーライルも、世界史とは結局英雄活動の歴史にほかならない、と説いた。カーライルは「英雄崇拝論」のなかで、北欧神話、オーディン、マホメット、ダンテ、シェークスピア、ルター、ジョン・ノックス、サミュエル・ジョンソン、バーンズ、クロムウェル、ナポレオンを論じている。
ところで一般にわれわれは英雄といえば、ギリシア神話の怪物や野獣を退治したヘラクレスやアテナイをクレタ王の支配から解放したテセウス、あるいはホメロスの詩にうたわれた豪勇で心やさしいトロヤ戦争の英雄アキレスを思いうかべる。中国では周のころから英雄伝説がつくられた。また漢代の司馬遷「史記」が伝える夏、殷、周の古帝王の伝説も、断片的には英雄の性格を現している。しかし中国の英雄像を具現化したのは、「三国志」に登場する後漢末の豪族・武将たちであろう。佚書ながら魏の王粲の著「英雄伝」10巻が存在したと伝えられる。(現在、その一部は「漢学堂叢書」に収められる)混沌とした時代に覇権を競う魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備たちは希代の英雄であろう。わが国では戦国時代の三大英雄はもとより、最近では幕末維新が英雄時代(The Hiroic Age)の宝庫となっている。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の維新の三傑をはじめ、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市瑞山、吉村寅太郎など若き命を燃やした志士たち。幕府を助ける佐幕派からも英雄と呼ばれる群雄は現われた。近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八。こうした英雄像は大河ドラマなどでさらにブームとなっていく。日本史を通じて古今無比の英雄といえば源九郎義経だろう。この颯爽とした源義経の若武者ぶりをみようと、大河ドラマ「草燃える」を見ると、いささか拍子抜けがするかもしれない。このドラマは異色な作品だろう。低視聴率で不人気だったかもしれない。しかし今みると、なかなかよくできた作品なのだ。いまの大河と違って、ヒーロー不在である。主役は北条政子(岩下志麻)だが、源頼朝(石坂浩二)にしても完全無欠のヒーローではなく、表裏があり、明暗があり、陰謀があり、人間的なのである。義経(国広富之)も未熟な若武者に描かれている。そして弁慶が出てこない。「クリープのないコーヒーなんて」というコマーシャルがあったが、「弁慶のいない義経なんて」惨めなものだ。むしろ智謀の士、梶原景時(江原真二郎)が立派に見える。景時といえば、屋島攻撃の際に、舟に逆櫓をつけることを献策して義経に容れられず、これを恨んで頼朝に讒言し、義経を失脚に導いたことで知られる日本史でも最上位に位置する悪役である。それがこのドラマでは文章や弁舌も上手で思慮分別のある名将として描かれている。まさに大人の観賞にたえるドラマなのだ。最近は歴史に縛られず、脚色の面白さを前面に出し、歴史離れを選択したようである。
松嶋菜々子、ソン・スンホンの「ゴースト」や広末涼子の「ゼロの焦点」を観たがリメイクが酷い。日本版「ゴースト」はドタバタ喜劇になってしまった。「ゼロの焦点」は結末が改作されているが、これを清張が観たら何と思うだろう。プラターズの「オンリー・ユー」を何度も聞きなれている者にとってはドラマになじまないように感じられる。2作品は観客を動員したようで商業的な成功を収めたが、映画の出来は悪し。
北九州市門司にある旧門司三井倶楽部の2階にはアインシュタイン・メモリアルルームと林芙美子記念資料館がある。アインシュタイン(1879-1955)と林芙美子(1903-1951)とが交流があったわけではない。アインシュタイン夫妻が大正11年12月、ここに宿泊したことを記念している。林芙美子は明治37年、門司小森江の生まれで、明治40年ころまで在住した。(つまり本人の記憶はないだろう) この無関係なアインシュタインと林芙美子をワン・フロアーで記念館とするところが面白い。
ところで、これまで林芙美子自身は山口県下関市であると作品に書いてきた。ところが井上貞邦が伝聞に基づき、芙美子は門司市小森江(北九州市)と主張した。現在では、芙美子生誕は北九州ということになっている。だが下関のほうに不満が残っている。広辞苑6版に記載されている「下関市生れ」を根拠にして一歩も譲る気配はない。
やはり今年はAKB48の1年だったろう。「桜の木になろう」「Everyday,カチューシャ」「フライングゲット」「風は吹いている」がミリオンセラー。武道館ライブも大成功。秋葉原発のAKB48に続いて、名古屋のSKE48、大阪のNMB48、福岡のHKT48もデビュー。さらにジャカルタのJKT48、台北のTPE48も結成された。いまや社会現象ともいえるこのAKBの勢いはどこまで続くのか。これだけ人数が多いとコーラスガールというより、チア・ガールのような気がする。
ガールズ・ポップスは秋元康プロデュースだけではない。老舗つんくハロプロのモーニング娘。も健在。新垣里沙をリーダーに新編成(12人)。Berryz工房、キュート、スマイレージも可愛い。7月に結成された中学生ユニットFairiesはレコード大賞新人賞。モベキスマはまだ見たこと無い。
このほか中学生グループChocoLe、本格的ダンスグループE-Girls、声優ユニットsphere、東京女子流、SUPER☆GiRLS、ぱすぽ☆、9nine、乃木坂46。セクシーグループSDN48は、みのもんたとデュエット。かつての男子グループサウンズの流行のように乱立気味になってきた。ジャカルタのJKT48を見た。インドネシア語でヘビー・ローテーションを歌っていたが反応はイマイチ。練習不足でダンスは未熟。秋元の大東亜共栄圏南進政策、皇民化政策の今後の行方に注目したい。
2012年の辰年は早くもミレニアム(2000年)に誕生した子供たちがついに干支を一周。では1928年(昭和3年)張作霖爆死事件の年に生れた84歳の有名人は?池田大作(創価学会)、田辺聖子(女の日時計)、津村節子(玩具)、兼高かおる(世界の旅)、楠トシエ(かっぱの唄)、佐々木すみ江(女の道は一本道)、杉葉子(青い山脈)、中松義郎(ドクター中松)、梅津栄、三浦洸一(東京の人)、平良とみ(ちゅらさん)、越智正典(アナウンサー)、土井たか子(社会党)、泉大八(ポルノ)、宇沢弘文(経済学)、木田元(哲学)、チョムスキー(言語学)
1940年(昭和15年)紀元二千六百年に生れた72歳の有名人は?大鵬幸喜、王貞治、張本勲、坂東英二、津川雅彦、竜雷太、中村敦夫、藤木孝、上条恒彦、片岡義男、上村一夫、森田公一、立花隆、筒美京平、麻生太郎。デヴィ夫人、浅丘ルリ子、笹森礼子、稲垣美穂子、北あけみ、三島ゆり子。海外ではリンゴ・スター、キャサリン・ロス、ラクウェル・ウェルチ、アンナ・カリーナ、アル・パチーノ。
1952年(昭和27年)生れの有名人。草刈正雄、三浦友和、水谷豊、さだまさし、坂本龍一、高橋幸宏、浜田省吾、峰竜太、吉幾三、村上龍、中島みゆき、小柳ルミ子、松坂慶子、風吹ジュン、夏木マリ、もたいまさこ、楠田枝里子。
1964年、昭和39年、東京オリンピックの年に生れた有名人。内村光良、恵俊彰、阿部寛、岸谷五朗、椎名桔平、高橋克典、堤真一、近藤真彦、薬師丸ひろ子、杉田かおる、山口智子、高島礼子、鶴見辰吾、野村義男、竹内力、出川哲朗、温水洋一。
1976年(昭和51年)生れの有名人。井川遥、伊勢谷友介、井ノ原快彦、オダギリジョー、乙武洋匡、木村佳乃、JUJU、庄司智春、瀬戸朝香、田中卓志、トシ、中谷美紀、観月ありさ、森山直太朗、山根良顕、山本耕史。
1988年(昭和63年)生れの有名人。新垣結衣、大島優子、黒木メイサ、小嶋陽菜、小柳友、斎藤佑樹、佐々木希、瀬戸康史、田中将大、辻井伸行、徳永えり、戸田恵梨香、濱田岳、福原愛、堀北真希、山本裕典、吉高由里子。
雪
今年の漢字に「絆」が選ばれた。ネットでいろいろ検索すると、少数派ながら違和感を感じたかたもおられるらしい。そもそも「絆」とは、普段目に見えなかった他者とのつながりを強く意識したときに自然に感じるもので、他人に声高に主張するような言葉ではない。ところが、今年多用されるようになった「絆」という言葉は、「つながり」「力を合わせよう」「一緒にがんばろう」という意味が込められ、ちょっとした「便利な言葉」として利用されているような気がする。漢字が原義を離れて、さまざな解釈で変化していくことは、ある程度止むを得ないことではあるが、日本語の乱れになっていくだろう。
よく使われる「記」と「書」との区別も日本人はあいまいである。中国では文章様式として「書」「表」「評」「記」「録」などの漢字があるが、当然、厳密に区別されて使用されていた。とくに「記」は「雑記」であって、個人の伝記や政治に関係するような重要なものは「記」とは呼ばない。司馬遷は自身の書を「太史公書」としたが、後世に「史記」とされた。これは司馬遷は公的な歴史書であると主張しているが、後世の史家たちは、伝聞や個人的見解が多く、単なる記録、日記の類として「史記」と命名されたものと解するべきである。すなわち古来から史記、漢書の優劣論があるが、公的な史書からいうと漢書が優るとされてきた。もちろん近代史学になって、太古からの本紀列伝体の史記叙述スタイルは独創的であり、その歴史的価値は明白ではあるが、「記」と「書」とではランクが違うのである。
漢字の原義を重要視しない日本人は、子どもへの命名法にも顕著にあらわれている。音の美しさのみで、漢字の字義・字解を無視することは昨今の悪弊であると感じている。
中国では伝統的に牡丹を「国の花」とする習慣がある。牡丹は西暦200年頃から薬草として栽培され、それが園芸植物として栽培されるようになったのは隋の時代からである。唐の玄宗皇帝が牡丹を愛したことはよく知られている。ところが清朝では「百花の王」として梅を好むようになった。中華民国になっても、法令により梅を国花として制定したときもあった。(1929年)これは梅の花が冬の寒さに耐えて咲くことから、精神的な改革を狙ったものであった。中華人民共和国時代になってはとくに国花は法で決められていなかった。1994年に世論調査をしたところ、牡丹が国民全体の65%で一番多かったことから、牡丹を国花にして、蘭・蓮・菊・梅をそれぞれ春夏秋冬の四季の名花にすることが決められた。しかし公式に国花に指定されたものではないらしい。つまり中国の国花といえば、ボタンとウメと一般にいわれている。
第4回アカデミー賞主演女優賞は62歳のマリー・ドレスラー(1868-1934)が売り出しの美人女優を抑えて受賞した。マリーは巨体を売り物にした喜劇女優でチャップリンの「醜女の深情け」(1914)で知られたが、年老いて仕事がなくなり家政婦をしようとしたところ、「惨劇の波止場」に出演。62歳での受賞は1989年度、80歳のジェシカ・タンディに破られるまで最年長記録であった。なおディートリッヒのノミネートはこの回が最初で最後。「情婦」(1957)でもノミネートされなかった。
ノミネートされた女優
「自由の魂」のノーマ・シアラー(1902-1983)は惜しくも連続受賞を逃した。「シマロン」のアイリーン・ダン(1898-1990)は戦後も「ママの思い出」などの名作がある。アン・ハーディング(1901-1981)の「Holiday」は1938年キャサリン・ヘプバーンで「素晴らしき休日」としてリメイクされている。
ミュージック・ステーションスペシャル。幕張メッセは46000人収容できる。画面でみてもかなりの観客がいる。4時間にわたる大型音楽番組の割には、欠場者も多かった。平井堅、浜崎あゆみ、安室奈美恵、宇田多ひかる、SPEED、コフクロ、中島美嘉、モーニング娘。、スマイレージ、TUBU、ドリカム、サザン、ELTなどなど。レディー・ガガを初見。これから「輝く日本レコード大賞」「年忘れにっぽんの歌」「紅白歌合戦」と続く。だが出場歌手の顔ぶれを見るとあまり期待感はない。テリー伊藤も嫌いだ。YouTubeで検索して好きな歌手の歌を聴いて年越しするのもいいかもしれない。白組アイ・ジョージ、フランク永井、藤島恒夫、水原弘、坂本九、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、三波春夫、赤組、笠置シズ子、美空ひばり、江利チエミ、越路吹雪、ちあきなおみ、ザ・ピーナッツ、弘田三枝子、西田佐知子、ヒデとロザンナ、黛ジュン、青江三奈、テレサ・テン、キャンディーズ。
年末になると歌番組を見る。福山雅治の「家族になろうよ」。ギターの弾き語りで甘く囁くように歌う。上手い。私が女性だったら、もっとシビレルだろうに。いま「家族の絆」が求められている。ぶっつけ本番の旅番組「鶴瓶の家族に乾杯」、視聴率40%を越えた人気ドラマ「家政婦のミタ」、昨年のヒット曲「トイレの神様」、みんな家族をテーマとしている。だが現実の事件では、この「家族の絆」が逆に強いしがらみとなって家族のメンバーそれぞれの個としての自立した歩みを妨げる足かせとなってしまうことが多い。続発する親の児童虐待、家族による高齢者虐待にも、その家族の状況には、近所の人たちとの希薄な人間関係、社会的に孤立しているという点で共通している。
むかしは親子の肉親の関係や、夫婦の契りの結束は当たり前なので「家族の絆」という人はいなかった。むしろ封建的なシガラミを断ち切ることが人生のテーマであった。現代社会は社会全体の人間関係が希薄なので、家族の結合の強化を求める傾向にある。夫は夜、盛り場で飲むことはなく、まっすぐ家に帰るし、週休二日で家族と過ごす時間も多い。傍目には幸せに見える家族も価値観の多様化からバラバラであることもある。ある人が言った。「絆」とは「へその緒」だと。この世に生れてきた赤ちゃんは誰でも母体とつながれていたへその緒を断って初めて人間して成長していく。「絆」は断つべきものか、断たざるものか、それが問題だ。
南北戦争の戦火の中でタラの大農園で強く生き抜いた1人の女性の物語。「風と共に去りぬ」を見たのは、何十年も昔のことである。だがどうも毎朝見ているような気がした。それはNHKのテレビ小説「カーネーション」の設定が酷似しているからであろう。岸和田で洋裁店を経営する小原糸子の性格がどんどんキツクなってヴィヴィアン・リーに似てきた。小原という名はオハラ?、つまりスカーレット・オハラは小原糸子で、「スカート(スカーレット?)を作るオハラ糸子」なのだ。浮気の夫の勝(駿河太郎)がレッド・バトラー。だんじりの泰蔵(須賀貴匡)がアシュレ。その妻八重子(田丸麻紀)がメラニー。父善作(小林薫)はジェラルドで、映画では落馬で死ぬが、ドラマでは火傷治療で湯治に行って不慮の死をとげた。シュチュエーションは酷似しているが、テイストが全然違うので気がつかない。大東亜戦争が南北戦争、岸和田がタラの大農園。これから大阪はアトランタのように敗戦で荒廃するのだろう。「カーネーション」が「風と共に去りぬ」の翻案物、パクリでも、ぬるま湯の「お日さま」よりは断然面白い。糸子が「明日は明日の風が吹く。私は負けない」と人参を食べ、あらゆる悲しみを越えて雄雄しく立ち上がっていくことを楽しみに見ていく。
井藤半弥(1894-1974)。大正・昭和の経済学者。専門は財政学。1924ドイツ留学。1955-59年一橋大学長。享年79歳。学生の声「先生は、どんなに難しい事でもやさしく噛み砕いて、学生にわかるように話してくれる」東京商大名講義の1人。
財政学原理 厳松堂書店 1931
社会思想と近代生活 同文館 1932
統制経済財政論 改造社 1933
租税原則学説の構造と生成 厳松堂書店 1935
国家財政概論 厳松堂書店 1935
財政学入門 日本評論社 1938
戦時財政講話 厳松堂書店 1939
財政学 千倉書店 1949
社会政策総論 春秋社 1949
財政とは何か 宝文館 1952
財政学総論 千倉書店 1962
地方財政租税の原理 千倉書店 1965
地方財政学総論 千倉書店 1971
マレーシアは多民族、多言語、多宗教の国。多数派のマレー人がわずかに過半数を超える程度で、あとは中国系やインド系、ボルネオ島などの先住民族など30以上の民族からなる。22年間にわたるマハティール首相のもとで東南アジア有数の経済発展をとげている。
ところで1941年から始まる日本軍のマレー侵攻では、マラヤ人民抗日軍が組織され植民地政府から弾圧を受けていたマラヤ共産党(主に中国人からなる)の指導軍は敵の敵は味方の論理で英軍と協力し日本軍にゲリラ戦を展開していた。そのマレー共産党の指導者がライ・テック(Lai Teck)という人物だった。「ライト氏」とか「クアラルンプールの不思議な商人」とか呼ばれていたが、その正体はよくわからない。戦後もマレー共産党書記長となって表面にでたが、1948年英保護領マラヤ連邦、1957年ラーマン首相のマラヤ連邦が独立し、マレー人優先のプミプトラ政策のなかで、ライ・テックは忽然と消えてしまった。
平清盛は、通商立国を目指し、日宋貿易のターミナルとして大輪田泊に大人工島を築いて改修し、同時に福原遷都を強行した。抵抗勢力に押され、すぐ京へ遷都となったが、半年間でも神戸の地が首都に選ばれた意義は大きい。福原とは摂津国八部郡(やたべごおり)。現在の神戸市兵庫区あたりの地名である。周辺には清盛塚(神戸市兵庫区切戸町)や雪御所(ゆきのごしょ)町の地名になった雪見御所旧跡などの史跡がある。
清盛塚は清盛橋付近にある十三重の石塔。高さ8.5mで、「弘安9年(1286年)2月」の年号が刻まれている。10mほど離れた現在の場所へ移転された。清盛の墓と伝えられていたが、大正時代の調査では遺骨は発見されなかった。石塔と並んで、清盛像、清盛の甥で琵琶の名手の経正(つねまさ)にちなんだ琵琶塚の碑が立てられている。
雪見御所は清盛の別荘跡といわれている。明治39年、湊山小学校の北約300mのところで瓦や土器が出土した。その後、校庭で礎石が発掘されたが、御所の庭に使用されていたものと考えられている。その礎石の一部で校庭に石碑が立てられた。現在は、正門の石井川寄りすぐの道路沿いにある。しかし福原京は平安京に比べいかにも狭かったといえる。
ところで日本銀行神戸支店では大河ドラマ「平清盛」放映による経済への波及効果を150億円と推定している。篤姫296億円、天地人204億円、龍馬伝234億円(高知)、210億円(長崎)、江162億円(滋賀)と比べと低めに試算しているが、巨額である。神戸の政財界や学者たちの獲らぬタヌキの皮算用が始まった。
MGMでは文芸大作「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラを探している。これまで候補に挙がった女優は30人を下らない。タルラ・バンクヘッド、ジョーン・クロフォード、ジーン・アーサー、キャロル・ロンバード、ジョーン・ベネット、ノーマ・シアラー、キャサリン・ヘプバーン、ベティ・ディヴィス、ラナ・ターナー、フランシス・ディー、マーガレット・サラヴァン。いまだスカーレットが見つからないまま、映画の撮影に入った。最終的にはマール・オベロン(「市街戦」)かポーレット・ゴダードの2人にしぼられる模様。昨年、ポーレットはチャップリンと共に来日し、日本にもお馴染みの女優さん。白羽の矢が当るのはマール・オベロンか、それともポーレット・ゴダードか。はたまた別な新進女優が現れるのだろうか、ハリウッドはいまみんなが行方を注目している。(ケペル特派員)
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれらが師である。語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。これらのすべてに学びたい。(松下幸之助)
cataloging
支那東岸水路誌 石川洋之助編 1875
支那陶磁小考 尾崎洵盛 実雲舎 1934
支那陶器精鑑 寂園叟著 塩田力蔵訳 雄山閣 1939
支那点々 草野心平 三和書房 1939
支那陶磁器史 渡辺素舟 1939
支那陶瓷図説 小林太市郎 1940
支那陶磁 許之衡著 塩田力蔵 第一書房 1941
銃が歴史に登場するのは14世紀のことである。13世紀の元寇のときモンゴル人が使用した火薬兵器「てつはう」は鉄球に火薬をつめて、強力な弓で発射するもので、馬を驚かすためのものであった。それがヨーロッパに伝わり、先込め式の火縄銃が15世紀前半、ドイツで発明された。命中精度や射程距離は低く、実戦向きではなかったが、マッチロック式に改良され、銃の性能は驚くほど向上した。マスケット銃(Musket)の登場で戦争にも採用されるようになった。ヨーロッパ史におけるマスケット銃の初実戦は15世紀中頃のフス戦争であった。マスケット銃(先込め式歩兵銃)の出現によってヨーロッパはアジアより優位に立つようになった。火縄銃が足軽の主要武器の一つとなるのは戦国時代中期16世紀半ばをまたねばならない。
12月23日は平成の天皇誕生日。昭和の天皇誕生は4月29日。明治の天長節は11月3日。大正の天長節は何日だろう。調べたら10月31日だった。実際は8月31日にお生まれになったのだが、諸般の都合で2ヵ月ずらしたらしい。残念なことに大正天皇の誕生日は明治天皇や昭和天皇のように祝日となることはなかった。来年2012年は大正天皇が即位してから百年にあたる。昭和43年に明治百年祭が盛大に行われたが、いま政府が大正百年を祝うという話は聞かない。明治天皇崩御百年という話のほうが耳にする。いま60歳以上の人であれば明治百年祭は記憶にあるはず。つまり明治45年間と同じ時間を実体験している。大正百年を体感できる機会は少ないかもしれないが、「大正ロマン」竹久夢二(1884-1934)とならいつでも会えるのではないか。夢二展はいつでもどこでも開催されているほど国民的な人気だ。只今「夢二とともに 川西英コレクション」展が京都国立近代美術館で開催中(12月25日まで)。
「展覧会の絵」「禿山の一夜」などで知られるロシアの作曲家ムソルグスキーは1839年3月21日、ロシアのカレヴォに生まれた。神経障害と飲酒で晩年は貧乏なくらしのまま、まわりの理解もえられないまま42歳の短い生涯で死んだ。晩年の彼の様子はレーピンが描く肖像画によく表現されている。芸術との闘いにやつれはてた姿が凄まじいほどの力で人にせまってくる。だが青年の頃の彼は優美な容姿だった。ボロディンによれば、髪はカールして香料が注意深く使っていて、爪もよく手入れされ、ものごしは貴族的で、礼儀正しく、すべての婦人が彼に愛想良くしたという。将校のムソルグスキー、軍医のボロディン、そのころの2人は音楽に一生をかけるとは夢にも思わなかった。ムソルグスキーの音楽が認められたのは、死後のことであるが、フランスの印象派に影響を与え、ソビエトの作曲家たちに受け継がれた。(モデスト・ぺトロヴィッチ・ムソルグスキー)
クリミア戦争の始まりは1853年とするものと、1854年とするものがあるが、どちらでもよい。ロシアとトルコが開戦したのが1853年で、同年英仏艦隊もダーダネルス海峡に出動、翌54年、英仏が参戦した。英仏連合軍は1854年9月、黒海に突き出たクリミア半島に上陸した。10月にはロシアの海軍基地セバストポリを包囲するが、翌年まで陥落できなかった。イギリス軽装旅団の無謀な突撃は、ロシア軍の砲弾に撃たれ、被害者が続出した。ロンドンの看護婦となったナイティンゲール(1820-1910)は戦場での惨状についての報道に接して、34人の女性看護師を連れてスクタリに赴き、野戦病院で献身的な看護を重ね、「ランプを掲げる貴婦人」と呼ばれた。彼女は帰国後、最初の近代的看護学校を設立した。
古戦場ネハーヴァンドはマハダーンの南西60kmにある
642年、ネハーヴァンド(ニハーワンド)でアラブ・イスラム軍とササン朝ペルシアとの間で戦われた戦闘。預言者ムハンマドのことばにしたがって、日没後の戦いを選んだがアラブ軍の将軍ヌーマーンは真っ先に攻撃し、戦死した。しかし激闘のすえ、アラブ・イスラム軍の勝利に終わった。 425年間続いたササン朝ペルシア(226-651)は滅ぶ。ササン朝のヤズデギルド3世(在位632-651)は逃亡してメルヴの近くの村で殺された。
昨夜放送の「お願いランキングGOLD」でロザン宇治原史規が100秒で日本史の重要事件「大化改新」「壬申の乱」「大宝律令完成」「平城京遷都」「平安京遷都」「応天門の変」などの年号をスラスラ言い当てていたのには驚き。京都大学法学部卒の実力を発揮した。歴史事項について年代関係を正確に記憶することは大切。もちろん宇治原は事件の内容についても把握している。たとえば「承和の変」を見ると、反射的に脳に「842年」がうかぶ。伴健岑と橘逸勢が捕らえられた藤原良房が計画した政治的陰謀事件だが、宇治原は「しょうわ」ではなく、「じょうわ」と正確に記憶していた。おそらく歴史年号だけでなく、英単語でもその暗記力はすごいものがあるだろう。TVの前の子どもたちも目をまるくして驚き、「ロザン宇治原のように賢くなるぞ」とまねしてくれたらいい効果があるだろう。
むし米供(そな)う大化の改新日(645年)
鳴くよウグイス平安京(794年)
いい国作れと鎌倉幕府(1192年)
人世(ひとよ)むなしい応仁の乱(1467年)
以後よく来日、宣教師(ザビエル来航、1549年)
日本史年号当てクイズ あなたも何問できるかやってみよう!
米騒動
大逆事件
日英同盟
サンフランシスコ講和条約
沖縄復帰
安政の大獄
鉄砲伝来
承久の乱
建武の新政
仏教伝来
大坂夏の陣
桜田門外の変
答え 1918米騒動 1910大逆事件 1902日英同盟 1951サンフランシスコ講和条約 1972沖縄復帰 1859安政の大獄 1543鉄砲伝来 1221承久の乱 1334建武の新政 538あるいは552仏教伝来 1615大坂夏の陣 1860桜田門外の変
今年、ドラマ部門での最大の話題といえば「家政婦のミタ」だろう。かつて高視聴率女優といわれた松嶋菜々子も38歳。ここ数年は低迷していた。視聴率30%に迫るヒットの要因は脚本である。だがやはり主演女優の人気がなくてはドラマは成り立たない。今年のキーワードは再ブレイク。森昌子も最近ようやく本来の歌唱が戻ってきたように感じる。テレビ番組最多出演タレントはビビる大木を抜いた有吉弘行だった。かつて猿岩石で売ったものの低迷期は長かった。昨年あたりから再ブレイクしだした。芸能人の人気には波がつきものだが、たえず変身していかねばならない。
むかしのテレビ番組「ナポレオン・ソロ第7話 アザラシは死を呼ぶ」をみているとカート・ラッセル(60歳)が出演している。カートは「逃亡者」ではジェラード警部の息子で出演していた(「小さな目撃者」) 賢くて美少年の売れっ子スターだった。青年になってディズニー映画「テニス靴をはいたコンピューター」(1969)などがある。一時、マイナーリーグで野球をしていたが肩を故障して映画界に復帰。「バックドラフト」(1991)でアクション・スターとして再ブレイク。神様はカート・ラッセルには何度も微笑むようだ。少年の夢が野球選手になって、映画スターで成功し、女優さんと結婚することならカート・ラッセルはすべてクリアしたことになる。子役時代にすでにスターだったし、野球選手になったし、シーズン・ヒューブリー、ゴールディー・ホーンと恋愛歴も申し分ない。
チャモロ族とはマリアナ諸島の先住民。マゼランがこの島を発見したのは1521年。それよりもずっと前の紀元前16世紀から、この島々にチャモロ人が居住し、文化を繁栄させていた。1667年、スペインはこの島を植民地とした。4万人に達していたチャモロ族の人口は、1710年の人口調査のときは3539人に激減していた。人口激減の背景には、スペイン人による殺戮や、天然痘などの疫病があるとされる。米西戦争によってグアム島が1898年にアメリカに割譲され、これ以降、グアムは他の島と政治的に異なる立場をとる。1914年、第一次世界大戦で日本はドイツ領マリアナ諸島を侵攻し、実効支配下を置いた。国際連盟によって、マリアナ諸島は日本の委任統治領と認められ、サイパン島を中心に日本人による殖産興業が進められ、その結果、サイパン島、テニアン島は、太平洋戦争中、戦略上の要衝として、多くの民間人を巻き込んだ地上戦の舞台となった。1942年半ば、ミッドウェー沖海戦での日本敗北に続いて連合軍は着実に西進を続け、1944年夏、マリアナ諸島の奪還に成功。即時に米国軍の基地となり、サイパンとテニアンには飛行場が設置された。世界初の原子力爆弾を搭載したB29型機が1945年8月、広島、長崎へ向けて飛び立ったのが、このテニアン飛行場である。1978年1月からサイパン、テニアン、ロタなど14島は、北マリアナ諸島連邦として米国自治領となった。(コモンウェルス規約を締結)
かつて正月映画といえばエノケンの弥次喜多ものに代表される喜劇が多かった。戦後は東映オールスターの水戸黄門や寅さんの松竹喜劇、洋画では007が看板だった。いまの映画界にはコレというものがない。興行的に最も期待できそうなのは、やはりトム・クルーズの「ミッション・インポッシブルゴースト・プロトコル」。家族で楽しむなら「タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密」。ロボットが人間に代わって格闘技を行う世界の感動の父と子の物語「リアル・スティール」。8組の人々の大晦日を描く「ニューイヤーズ・イブ」。ミシェール・ファイファーとザック・エフロンの年の差カップルに注目。生存率50%の癌を宣告された若者を描く「50/50」。crime(罪)サスペンス、キアヌー・リーブス「フェイク・クライム」。オダギリ・ジョー、チャン・ドンゴンの「マイウェイ12000キロの真実」はアジア映画史上最大規模の大作。
日本橋にあった「東急百貨店」はずいぶん前に「コレド日本橋」に変わっていた。石川さゆりが歌う「♪上野発の列車降りたときから青森駅は雪の中」も今では東北新幹線で「はやぶさ」に乗って、上野ー青森間を夜行列車で行くというのは昔語りになるだろう。青函連絡船は青函トンネル(1988年)、碓氷峠のアプト式列車は長野新幹線(1998年)、羽田空港は成田国際空港(1978年)、小牧空港はセントレア空港(2005年)、蔵前国技館は両国国技館(1985年)、後楽園球場は東京ドーム(1988年)、宇高連絡線は本四架橋(1995年)、そして東京タワーもその王座を来年には東京スカイツリーに奪われるだろう。正月のテレビガイドの表紙はSMAPではなくて、嵐だった。
プロ野球の清原和博は通算400本塁打以上を打ちながら打者三冠タイトルを一度も獲得していないので「無冠の帝王」といわれる。(ただし新人王やベストナインなど各賞は数多く受けている)この清原のような存在は日本トンネル史でいうと「丹那トンネル」にあたるだろう。丹那トンネルの名前は子どもたちが社会科で覚え、日本一のトンネルとして知られている。東海道線熱海-函南駅間にある丹那トンネルは1918年に着工し、16年の歳月を要して、1934年に完成した。全長7804mは清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さであった。(ただし鉄道用複線トンネルでは日本最長だった) 丹那トンネルが人々の記憶の残るのは、おそらくトンネルを通過するまでの時間がかかるからだろう。丹那トンネルの存在は今では昔語りとなったが、無冠の帝王として日本トンネル史上に確固たる地位を占めているのである。
内柴正人の準強姦騒動が下火になったと思ったら、小錦の暴行事件。犬のウンコの処理を巡って近所の人と喧嘩したらしい。楽天の田中将大投手が仙台で車を運転中に人身事故を起こした。今シーズン好成績だったのに・・・。スポーツ・ヒーローは金持ちでアウトドア派なので、一日家で静かに過ごすことなどできず、出歩くことが多い。必然トラブルを起こすことも多い。過ちを犯したら謹慎して、反省の日々を送れ。とくにウンコと女性とクルマには注意せよ。
アルファベットと数字が氾濫している。AKB48のブームのせいだろうか。SDN48(解散)、SKE48、SKB48、NMB48、HKT48と続く。K-POPもややこしいミュージシャン名が多い。2NE1、SE7EN、IU、T-ARA、B1A4など。中畑清の「横浜DeNAベイスターズ」。長野県では「飯田OIDE長姫高校」が出現。校名にアルファベットがつく高校はPL学園などあるが公立高校では全国で初めて。これまでアルファベットの略称というのは、GATT、EECのちEC、NATO、FBI、CIA、KGBと何となく胡散臭いスパイ映画の世界であった。だが1990年代以降、ATM、UFJ、OCNなど日常生活に増殖している。だがアルファベットの略称の氾濫はどこか気持ち悪い。「AKBはアーカンベー」と覚えよう。
中国長江の河口近く、黄浦江下流部にある大都市・上海。1824年南京条約によって開港して以来、外国資本の中国進出の拠点で、金融・貿易・商工業の中心地となっている。面積は約6300k㎡。戸籍人口の推移は下記のとおり。現在、都市人口では世界第1位である。
1980年 1146万人
1985年 1216万人
1990年 1283万人
1995年 1301万人
2000年 1321万人
2011年 1412万人
2012年 1435万人
cataloging
上海ニ於ケル外国為替 台湾銀行総務部調査課 1917
在上海定刻総領事館管内状況 外務省通商局 1921
上海百話 続 池田百川 日本堂 1922
支那貿易叢書 第2輯 大阪市商工課 1924
支那経済綜合覧 第1-5巻 西川喜一 日本堂書店 1922-1926
上海共同租界法規全書 山崎九市 日本堂書店 1926
支那問題叢書 第3編 上野書店 1929
新上海夜話 井東憲一 博栄堂書店 1933
上海旅日記 前原克三 1933
上海案内 松井翠声 横山家 1938
上海紀行 石山賢吉 ダイヤモンド社 1941
上海 岩波新書 殿木圭一 岩波書店 1942
上海 岩波文庫 横光利一 岩波書店 1956
上海回想青春残像 広瀬元一 栄光出版社 1973
上海 林京子 中央公論社 1983
上海紀聞 中川道夫 美術出版社 1988
上海 疾走する近代都市 現代新書 藤原恵洋 講談社 1988
上海 上・下 クリストファー・ニュー著 平凡社 1991
いまでも高校漢文に論語は載っているはずである。しかしそれは理解しやすい章句だけが引用されているにすぎない。全文を理解しようとすれば相当の時間と労力を要するであろう。私は一度も全文を通読したことはない。理解しやすい章句をつまみ食いするだけである。論語は士大夫について述べたものである。だから文字を知らない一般庶民には無関係の話である。たとえ文字を知っていたとしても「士」としてみなされることは高いハードルがある。「士にして居を懐うは、もって士となすに足らず」(憲問篇)。「居」とは「安座」の意で、自分の郷里・家庭・地位など、すべて自分の安逸の情をみたしうるところ。衣食住や富、地位ばかりを求める人間は、とうてい士としての資格がないというのである。ではどういう人間が孔子の理想なのであろうか。「疎食を食らひ、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみもまたその中に在り。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし」(述而篇)とある。
「疎食を食らひ、水を飲み」の章句は古来有名ではあるが、高校漢文の教科書にはあまり採用されたのをみたことがない。やはり明治以来、富国強兵と立身出世はセツトになっているので、青年に隠逸思想を鼓吹することは憚られたのであろう。現在のテレビのバラエティ番組はじめ多くの書物にある思想は、富と地位をえることが人生の努力目標となっているようなので、論語ほど無用なものはあるまい。退職して金も栄誉も無関係な状態になってはじめて、金言の価値を理解できるものである。
三井住友銀行さんが来年のカレンダーや手帳を届けてくれた。情報誌「家楽手帖」を読むと「平清盛ゆかりの地を訪ね歩く」と来年の大河ドラマの舞台を5ページにわたり紹介している。平清盛はこれまでに何度も大河ドラマに登場した。吉川英治の「新平家物語」もあった。(清盛は仲代達矢、祇園女御は新珠三千代の「人間の条件」コンビ)
通常、「平家物語」とあっても判官びいきでこれまで源氏側の視点が多く、平清盛は成り上がり者の暴君というイメージが定着している。実際の清盛の人物像は温厚で情け深い人だったともいわれている。清盛の母は白河法皇の寵愛を受けた祇園女御だったという落胤説がある。ドラマでは松田聖子が演じるそうだが、近年では「仏舎利相承系図」を根拠に祇園女御の妹が母で、母の死後に祇園女御が養育したという説もあるらしい。ドラマでどのように描かれているのか興味深い。京都河原町に六波羅密寺がある。悪疫退散のため念仏を唱えて市中を回った空也上人が天暦5年(951)に創建したといわれる。上人没後、高弟の中信上人により規模は増大し、平家一門の邸宅が栄え、その数、5800余に及んだという。寿永2年(1183)平家没落の時に兵火を受け、本堂のみ焼失を免れた。重要文化財の空也上人立像や平清盛坐像などが残されている。
南容、白圭を三復す。孔子、その兄の子を以って、之に妻(めあ)わす。(239)
「白圭」とは白い清らかな玉。南容は一度欠けた陶器は修復できないという詩経のことばを何度も繰返し口ずさんでいた。一度口から出て相手の心を傷つけたら癒せない。だから発言は注意する。南容は孔子の弟子。非常に慎み深い君子であったらしい。
徳川家康はドラマなどでいつも晩年は薬草や漢方に詳しかったように描かれている。だがさすがの家康も75歳で他界した。天ぷらによる食中毒といわれるが、家康の侍医・片山宗哲の「片山家譜」によると、家康の腹部には塊があり、胃癌と考えられている。
河野友美(1929-1999)という有名な食品学の先生がいた。国立国会図書館で蔵書検索すると140件もヒットする。「食品事典」「たべものと日本人」「味のしくみ」「若さを保つ健康食」「栄養手帖」いまの健康ブームをつくられた一人といってよい。とくに「まちがい食品学」は文庫本になり今もよく読まれている。そんな河野先生も70歳で病死された。健康食に精通していることと長寿とは密接ではあるがイコールではない。やはり不倒翁といわれる100歳老人には学問では解明できないメンタル的な神秘性が潜んでいる。
「自転車泥棒」「靴みがき」「鉄道員」「禁じられた遊び」「汚れなき悪戯」戦後映画は子役の演技で泣かせた
芦田愛菜はドラマ「マルモのおきて」で大ブレーク。紅白では開始時間を15分早めて芦田を前半の目玉にする。前日の「日本レコード大賞」も芦田による視聴率アップを狙う。先日「日本有線大賞」新人賞の受賞では大人びたトークが可哀そうに感じた。「無理しないでいいよ」「仕事やすんだら」といいたくなる。愛菜に続けと子役の活躍が目立った1年だった。「全開ガール」の谷花音、「家政婦のミタ」の本田望結。本場ハリウッドでも倒産寸前のFOXを救ったのはドル箱スター、シャーリー・テンプルだった。芸能界では「子役スターは大成しない」とよくいう。「キッド」のジャッキー・クーガン、「鉄道員」のエドアルド・ネヴォラ、「禁じられた遊び」のブリジット・フォッセー。日本では高峰秀子と美空ひばりという大スターがいるものの、松島トモ子、二木てるみ、上原ゆかり、太田博之、江木俊夫、雷門ケン坊、宮脇康之、皆川おさむ、斎藤こず恵、小林綾子、安達祐美などをみるとやはりジンクスは当っている。
「鉄道員」のサンドロ少年(エドアルド・ネヴォラ)は1974年頃までは映画・テレビにでていた。現在はアニメの声優、63歳。
ジャッキー・クーガン(1914-1984)やマコーリー・カルキンのように高額の収入をえたことで家庭崩壊に巻き込まれることも多い。
松尾芭蕉(1644-1694)と大石内蔵助(1659-1703)はほぼ同時代人物といってよい。討ち入りのときすでに芭蕉は他界しているので2人に話の接点はない。だが村上喜剣という薩摩浪士がいる。浪曲や講談の世界ではよく知られた人物なので紹介しよう。
大石内蔵助は京都の一力茶屋で、連日放蕩を尽くしていた。そこへ村上喜剣が来合わす。「天下の名家老といわれた大石がこのさまは何事だ。主君の仇討ちを忘れ、酒と女にうつつをぬかすとは、大石ではなくて軽石だ。この腰抜け、武士の風上にもおけぬ人でなし、犬さむらい」と罵って顔に唾をはきかけ立ち去った。そのあと、喜剣は江戸へ戻り、日本橋から白河、松島、平泉を経て、日本海に出て、東北の名所旧跡を巡り、江戸に着いたのは元禄16年のある日。品川は高輪で墓参の人々に出会う。そこで初めて喜剣は義士の討ち入りを聞くに及んで、萬松山泉岳寺の大石内蔵助の墓前に額づき、自分の不明を詫び割腹した。
年末になると音楽番組もおおくなる。先日の日本有線大賞は「いくたびの櫻」ふくい舞が受賞した。意外だったのか、AKB48ファンの若者のイラガラセなのか彼女のブログ・コメント欄が炎上したという。出来レースといよりむしろデータ重視で当然の結果という意見もある。歌謡界の大御所、山上路夫の力も影響したのかもしれない。歌謡曲ではあってもJ-POP風。その点では西野カナも同じではないか。むしろレコード大賞の行方は面白くなる。昨夜「日本のうた」で香西かおりと石原詢子が登場。民謡と詩吟という御得意も披露してくれた。チャーミングな石原が「武田節」では着物の所作が美しいこともわかった。40歳代の2人はいまが全盛だと思うが、なぜかここ数年、紅白歌合戦には出場していない。ヒット曲がないといわれればそれまでだが、他のベテラン演歌歌手も目立ったヒットがあるわけではない。出場回数を重ねると落選させにくくなるのだろう。石川さゆり34回、小林幸子33回、川中美幸24回、坂本冬美23回、伍代夏子18回、藤あや子17回、天童よしみ16回。40代の香西、石原が出場を阻まれるのは演歌枠もあろうが、新旧交代がうまくいっていない演歌界の問題であるような気がする。新人、中堅、古参のバランスも大事だ。
府立弥生文化博物館(大阪府和泉市)で「子規の叔父、加藤拓川が残した絵葉書」展が開催されている(来年1月29日まで)。NHKの「坂の上の雲」関連の企画。加藤拓川とは本名、加藤恒忠(1859-1923)といい、子規の叔父であるとともに、子規に読書をすすめ、東京へ行くことを勧めた人物である。ドラマでは上村祐翔が演じている。
加藤恒忠は伊予松山藩の儒者大原有恒(1818-1875)の三男。明治9年、司法省学校に入る。同年、中江兆民の塾に入る。フランスに遊学し、外交官として海外に在住し、衆議院議員、勅撰貴族院議員、松山市長となった。陸羯南に子規を紹介したのは恒忠である。(参考 :工藤真由美「正岡子規における出会いの一考察」奈良女子大学教育学科年報11 1993年)
安いソーセージを買う。1.3㎏で980円。これで1週間はおかずになる。魚肉の原料は何んだろう。たら、たちうお、ほき、その他とある。英語でcod、cutlassfish、blue hake。ホキ(hoki)はマリオ語でタラ目マクルロヌス科の深海魚。白身魚のフライの材料としてよく使用され、マクドナルドのフィレオフィッシュにも使われている。
今年の流行語大賞は「なでしこジャパン」だそうだが、イマイチ世相を反映していない。それは不祥事を隠蔽するメディア、企業、体制側の情報工作の体質だろう。今年、何度も耳にしたのは「あってはならないこと」という言葉だ。原発事故、九州電力やらせメール、防衛局長の不適切発言、島田紳助「黒い交際」、大王製紙前会長の逮捕、オリンパス粉飾、2大臣の問責決議(実は法的拘束力のない茶番政治)、下は教師や警察官の不祥事、金メダリス準強姦まで「あってはならないこと」のオン・パレードの一年だった。不祥事が起きたときに責任者は常套句として「あってはならないことだ」と会見で一言いえば済む日本の世の中。一川や山岡らはあまりにカッコ悪すぎるぜ。男がピカピカの気障でいられたむかしは良かった。花田秀次郎、滝伸次、リック、シェーン。みんなカッコよかった。
むかしから日本には「便所には神様がいる」という信仰が各地に伝わるそうだ。「便所を大事にするときれいな子がうまれる」「妊婦が便所掃除をすると玉のような子ができる」「便所には美人の神様がいて、月経・お産を軽くしてくれる」。最近では「トイレの神様」のヒットもあってか、トイレ掃除が金運アップするという。さらに進んで便座の蓋を閉めるだけでお金持ちになれるという。理由はいろいろ考えられるが、蓋を閉めると節電効果がある、水カビ防止、水が蒸発しにくくなり便所の壁紙がはがれにくくなる、などなど細かいことを理由にしている。つまり掃除や清潔、整理・整頓に気を配ると、身の周りがちきんとできて、無駄なものを買ったりすることもなく、現実的に節約になる、という理由からである。年末はどこの家庭でも大掃除をする。やはり清潔にして今年一年の汚れを落として、新年を迎えるのがよいだろう。
新聞記者のジョーは道端で泥酔娘を発見。関わりになるまいと立ち去ろうとするが、やはり心配。そこでタクシーを拾って家まで帰そうとするが、無理だった。タクシーの運ちゃんにも断わられ、仕方なく自分の安アパートに連れてくる。よくみるとなかなかの美人で教養もありそうな娘だ。パジャマ、そして自分のベッドまで与えて、その晩は過ぎていく。翌日になって、その娘がなんとローマに滞在しているアン王女であることを知る。こんな御伽話は映画だけの世界なのだろう。ヘップバーンのようなキレイな娘が無抵抗の状態で傍にいて指1本ふれないなんてペック様はなんてストイックでしょうか。それに比べて日本人男性ってダメですね。柔道の達人が介抱のうえ女生徒と関係をもつとは修行が足らんぞ。むかし早大のスーパーフリーというイベントサークルの学生たちは女子大生を泥酔させ介抱と称して強姦した。「合意の上」と否認したが、結局14人は準強姦罪で実刑となった。「ローマの休日」は騎士道精神を教えてくれる映画だ。
テレビで「第44回日本有線大賞」を放送している。ふくい舞「いくたびの櫻」が受賞した。作詞は山上路夫。天地真理のヒット曲でしられる作詞家。欧米では曲が先につくられることが多いが、日本ではなぜか詩が先につくられ、後から旋律がつけられる場合が多い。「神田川」もそうである。喜多條忠は「いい詩ができたので曲をつけてほしい」と電話で南こうせつに頼んだ。南はすらすらとメロディが浮かび1時間で出来たのが「神田川」である。一説には演歌は詩が先で、ポップス系は曲が先、という傾向がある。
ところで神田川の歌詞のなかに「貴方の優しさが怖かった」とある。なぜ優しさが怖いのか、作詞家である喜多條はこのように説明している。当時、学生だった彼は同棲していた。学生運動で家へ帰ってくると、彼女が夕食にタマネギを刻んでいる。その後ろ姿をみていると、彼女がいとおしくて学生運動をやめて就職活動をしようと思った。だが、その瞬間、その気持ちが自分の中で怖くなった。これまで抵抗していたのに体制にあわせて生きようとしている自分がいる。そのような気持ちから「神田川」の歌詞が出来て、あの「貴方の優しさが怖かった」というフレーズとなった。
昨年の今ごろ植村花菜「トイレの神様」の紅白ノーカット出場が話題であった。紅白は1組約3分ほどの歌唱時間が定番で、出場歌手の間で差がないようにほとんどの歌がカットされてきた。国民的歌手・三波春夫の長編歌謡浪曲「紀伊国屋文左衛門」などは別格扱いだった。新人・植村花菜に対しては持ち時間10分は破格の扱い。トイレを通して祖母とのきずなを歌った作品。NHKとしては紅白発の大ヒットを狙った。そして大晦日は家族で「トイレの神様」を聞き日本中が泣いた。新春特別ドラマでは芦田愛菜・北乃きいでまた泣いた。翌年1月「トイレの神様」は紅白効果でさらに売上げが伸びた。だがこの一年、不思議なことに「トイレの神様」が全然聞かれなくなった。まるで日本人みんなでこの歌に封印をしたかのようである。おそらく潮目は3月の東日本大震災であろう。家族を亡くされた人にとってはあまりに辛すぎる歌だった。マスコミもそれに配慮したのであろう。自粛ムードの鉾先はすべて「トイレの神様」に向けられた。それに加えて、「トイレの神様」に対するネット上での非難が多くなった。「泣ける曲」をセールスすることへの反発であろう。メッセージ性のある音楽は感動するのも早いが、飽きられるのも早い。理不尽な話ではあるが、大衆とは気ままなものである。穿ってみれば、大衆の不満や憎悪を他にそらすために「トイレの神様」が一種のスケープゴートになったように思える。だが10年、20年経つと「トイレの神様」が家族団欒で聞いた思い出の一曲となるかもしれない。世間の毀誉褒貶を嘆いても仕方ない。花菜ちゃん、今年の紅白は炬燵みかんでのんびりと観ようよ。
昭和44年の暮れごろから翌年にかけて全国的に「不幸の手紙」が流行した。「これは不幸の手紙です。今から48時間以内に29人の人たちにこれと同じ文面の手紙を出さないと、確実にあなたは死にます」という内容の気味の悪い手紙だった。アニメ「ちびまるこちゃん」に「まる子、不幸の手紙をもらうの巻」がある。まる子は差出人の名がない一通の手紙をもらう。いったい誰に出していいのか思い悩むまる子。
このような「不幸の手紙」が流行したのは昭和45年のことと記録にあるのだが、わたしの記憶では兄宛てに不幸の手紙が我が家に来たのは、それよりも7、8年は前、東京オリンピック以前だったような気がする。私は小学生だったし、兄貴も小学生だった。不幸の手紙をもらった兄はやはり困っていた。しっかりとした判断力がつけば、次の人に送らないことがイタズラを撲滅することになるのだが、まだ幼かった。なぜか遠い日の不思議な思い出である。
いま時代劇チャンネルで竹脇無我の「鞍馬天狗」を放送している。明治維新後の話はあるのだろうか。嵐寛寿郎の映画シリーズ第26作「鞍馬天狗 黄金地獄」では明治の横浜を舞台にした話だった。原作の大仏次郎の小説には明治となった天狗の話が結構おおく書かれている。維新後の倉田典膳は新政府に対して否定的な立場をとることがおおい。大仏は天狗を新政府の使節として、通訳となった杉作とともにフランスへ行くストーリーを構想していた。題して「鞍馬天狗巴里に死す」だった。完成して映画化されたら面白かっただろう。
物理学者の寺田寅彦(1878-1933)には映画評論やエッセーが多い。クロード・レインズの「透明人間」(1930)も観ている。「ガラスは透明だが目に見える。それは光の屈折により目に映るからであり、本当に目に見えない透明人間を作ろうとしたら、空気と光学の密度を同じにしなければ完全な透明にはならない。ところが、そうすると透明人間は目がみえなくなってしまう」と書いている。特撮映画をみても科学的な視点でユニークな評論をする。もしもあと30年ほど長生きしていらた多くの特撮映画をみることができただろう。宇宙から円盤が飛来した人類よりも高い知能を持った寄生物「吸血鬼ゴケミドロ」をどのように論評するのだろうか。
寺田寅彦は宇宙人の存在をどのように考えていたのだろうか。
たとえばこんな感じ??
パーマン。スーパーマンという誰もが知っている作品をパロディーにした元祖
1987年レナウンが発売した抗菌防臭加工の靴下「通勤快足」がヒット商品となった。ヒットの要因の一つがネーミング。それもダジャレが購買欲を高める。ゴキブリホイホイ、アリの巣コロリ、カビキラー、キレイキレイ、のどぬーる、滑り止めスベラーズ、ためして寒天(ためしてガッテンのダジャレ)など日本人はダジャレが大好き。商品名で衝動買するらしい。
今年最も高い視聴率の番組「家政婦のミタ」。市原悦子の作品とは中味は無関係でパロディとは言えない。三田の「承知しました」にインパクトがある。「全部脱いで!承知しました(第5話)」「私を殺して!承知しました(第6話)」で急に視聴率がアップ。視聴者は三田の「承知しました」一言で快感を得るようになっている。大河ドラマ龍馬伝も「龍馬の休日」は「ローマの休日」のモジリ。何故ダジャレがうけるのか。既成の他の事象を連想させることがネーミングの成功率を高める理由はまだ解明されていない。
むかしクイズダービーで本当にあった問題。「日本が世界に誇る盗塁王・福本豊選手は、かつて国民栄誉賞を打診されたとき、断わった。いかにも彼らしいユニークな理由とは、次のどれか?」
1 そんなん貰ったら気軽にうどん屋へ行けへんわ
2 そんなん貰ったらクラブでネエちゃんの胸触られへんわ
3 そんなん貰ったら立ションも出来へんわ
答えは3。福本豊の名言である。「棺を蓋いて事定まる」というが、人間の真価は、その人の死後に初めてきまる。生前の栄誉が永久に保障されるものではあるまい。むしろ過ちを犯すのが人間であると考えたほうがよい。栄誉を背負って生きるよりも、挫折から立ち直り、悔い改めてゼロから出直すことが大事だ。
日米開戦から70年。過去の人類の歴史をみれば危機にある国民は英雄の出現を待望する。フランス革命後のナポレオンの台頭、第一次世界大戦敗戦後のナチスの台頭など。未曾有の国難にある日本でもいまや英雄、ヒーローを渇望しているようだ。今年の流行語大賞が「なでしこジャパン」。いまや国民的人気の娘たちを芸能界がほっておくはずがない。年末年始のテレビはなでしこ一色だろう。ドラマでは「坂の上の雲」も軍人ヒーロー大集合。12月23日から映画「聯合艦隊司令長官山本五十六」も公開される。一方で期待したヒーローから大きく裏切られることもある。2つの金メダルを獲得した柔道家の準強姦容疑による逮捕事件は英雄視することへの警鐘でもある。西洋ではかのダビデ王でさえ過ちを犯すとして、人間の不完全性を戒めている。日本的には郷土愛から地域出身の英雄を讃美、顕彰する気風はあまりに強すぎる。だがいかなる英雄も晩節を汚すことは枚挙にいとまない。明治新政府への反逆者った西郷隆盛、ロッキード事件で逮捕された田中角栄。およそ半年前まで日本のリーダーだった菅直人などいまでも現役国会議員の筈だがほとんどニュースに取り上げられず過去の人となった。所詮、国民とは身勝手なものである。外交官、小村寿太郎は苦労して日露戦争の条約締結に成功したが、勝利に酔う国民は「屈辱外交」として小村を非難し、日比谷焼き討ち事件など各地で暴動が起こった。大陸への足がかりを得た日本はますます増長して泥沼におちいっていく。軍国美談や軍神など英雄視することも進路を誤らせた一因である。いかなる人物でも英雄視することは危険である。
NHK連続テレビ小説「カーネーション」。糸子の夫・勝に召集令状がきた。ネタバレですが戦死する模様。勝に扮しているのがミュージシャンの駿河太郎。落語家・笑福亭鶴瓶の長男でなかなかのイケメン。そこで意外性のある親子を探す。テレビ「水戸黄門」2代目の西村晃の父はロボット発明王の西村真琴である。尺八の福田蘭堂の父は洋画家・青木繁。「翼をください」の山上路夫の父は「港の見える丘」の作詞家・東辰三。シャボン玉ホリデーのディレクター秋元近史の父はオノマトペ俳句で知られる秋元不死男。女優吹石一恵の父は近鉄バッファローズの内野手・吹石徳一。
FNS歌謡祭を聞く。吉川晃司とAKBがコラボしていたが、彼女たちは「モニカ」を知っているのだろうか。小林旭もアキラ節健在である。「ダイナマイトが百五十屯」(1958)。ゲストのベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」(1961)とどちらが年上か。なんと両人73歳と同年である。貴乃花も自慢の喉を披露してくれた。浜崎あゆみ、安室奈美恵の歌姫の姿がないのは淋しい。
やっぱりETはいる。NASAは惑星ケプラー22bに生命が存在する可能性があることを発表した。惑星は地球の2.4倍の大きさで、表面温度は22℃。宇宙のなかで生命が存在するのに最適なハビタブルゾーンに位置している。原始的なバクテリアなのか知的生命体なのか詳しいことはわからない。もしもケプラー星人が高度な文明を持っているとしたら、地球を侵略するため襲来するかもしれない。大至急、地球防衛軍をつくるべし。本当に日本のリーダーがドジョウ宰相と防衛素人の一川で大丈夫なのだろうか?マヤの予言では来年、地球は滅亡し、新しい時代にはいるという。つまりこれはケプラー星人の襲来を予告したことであり、いわゆる地球のリセットだろうか。マネーが支配する現国家主義が崩壊し、ノアのような義による新政府が築かれるのであろうか。
ファン感謝デーの呼び物PK戦。和田阪神はINAC神戸所属のなでしこジャパン7選手とガチンコ対決。ゴールキーパ久保田智之の奮闘で30-20で阪神奇跡の勝利。藤川、大和、柴田がシュートを決めた。和田阪神にとって記念すべき初白星は世界一のサッカー娘からつかみ取った。
デヴィ夫人の発言が物議をかもしている。ブログ「デヴィの独り言」で内柴無罪を主張しているのである。合意の上であり、被害者にも責任があったとし、「準暴行って暴行していないって意味でしょ、女が悪い」とある。だが内柴が認めている事実関係から、妻子ある教職者が未成年の飲酒を放置して、その一人と性行為におよんだことは、合意あるなし関わらず、批難されることであろう。また準暴行ではなくて準強姦容疑で逮捕されたのである。女性に酒などを飲ませて姦淫した場合を準強姦という。準強姦と強姦罪は共に同一の法定刑となっているため、区分にあまり意味はない。むしろ介抱を装い抵抗できない状態で強姦することから、より質が悪いといえる。レイプ事件の場合、被害者が恥ずかしさのあまり告発できなかったり、泣き寝入りになるケースが多い。また女から男を誘ったのではないかとか、後で冷たくされた腹いせではないかとか、事実無根のことで被害者である女性が誹謗され、告訴を取り下げたり、示談になることもある。ドラマなどでしばしば観られるレイプ裁判も弁護士がたくみに被害者の女性からの合意性を明らかにしてくる。デヴィ発言は悪質な「女性による男尊女卑」の事例であろう。
嘉納治五郎(1860-1938)がそれまでの柔術という名称を改め、新たに「日本伝講道館柔道」を起こしたのは、明治15年2月、東京下谷区稲荷町の永昌寺内に道場を開いたときからである。
嘉納は明治4年上京し、明治10年、天神真楊流の福田八之助について柔術を学ぶ。福田の病没後、その伝書を継承し、さらに神田お玉が池に道場を開いた同じ流儀の磯正智に従い、また明治14年、起倒流の名人飯久保恒年に師事した。同年東京帝国大学文学部を卒業、学習院に奉職するかたわら、永昌寺に居をかまえ、従来の柔術に科学的改良を加えて講道館柔道を創始する。時に嘉納師範23歳。道場は広さ畳12枚、初年度の入門者は富田常次郎、西郷四郎、山県正雄、白藤丈太郎ら9名であった。講道館は、その後、南神保町へ移った。この道場は別名土蔵道場といわれる。西郷四郎が代稽古に立つのはこのころからである。明治18年ごろ、攻玉社の学生であった広瀬武夫も講道館に通った一人だった。明治海軍に柔道を導入したのは、彼と在校中の教官八代六郎の尽力によるものである。
嘉納治五郎を中心とする講道館柔道の草創期の逸材は、西郷四郎(1869-1922)、富田常次郎(1865-1937)、山下義韶(1865-1935)、横山作次郎(1869-1912)の講道館四天王である。明治18年に山下は揚心流の照島太郎を他流試合で破り、講道館の名声は上がり、山下は警視庁師範となる。小説「姿三四郎」のモデルといわれる西郷四郎は、のちに野望を抱いて中国に渡り各地を転々とするが志を得ず帰国、長崎に住んで「東洋日の出新聞」の経営に加わったが失敗、晩年は尾道で零落した。
嘉納はスポーツ振興のために尽力し、IOC総会で第12回オリンピックの東京招致に成功(戦争のため中止となる)。昭和13年カイロIOC総会に出席し、その帰途太平洋を渡る氷川丸船中で急性肺炎のため死去した。
むかし熱血柔道漫画という男子しか読まない、独自の世界があった。そこはどんなに辛くてもくじけずこの世の悪と立ち向かう、正義一筋の世界だ。「イガグリくん」「イナズマ君」そしてのちの「柔道一直線」など。どこの中学校でも柔道部は学校の花形だった。
日本の柔道は明治の青年が海外に雄飛して、普及に努め、世界に知られるようになったものである。その行為は決して自己の名声や栄達を求めるものではなく、完全な無私のものであった。未知の国の寒村で柔道教室を開き、名も知らず世を去った柔術家も多い。いつごろから日本の柔道家が堕落するようになったのだろうか。皮肉なことだがオリンピックで金メダルを獲り、それが身の栄達になった頃からだろう。国民栄誉賞をもらうことも堕落に拍車をかけた。柔道は正しくあらねばならない。暗い世に光を投げるのが柔道である。アテネ、北京の金メダリスト内柴の行為は大いに日本の柔道を汚した。たとえ彼が合意であると否認したとしても、女子部員との性交は指導者として恥ずべきことであり、柔道界から永久追放に値するものであろう。勝負の勝ち負けにのみこだわり、心の修行を怠った日本柔道界は八百長の国技大相撲と同様最低である。
九州王国という言葉がある。邪馬台国。キリシタン大名。西南戦争。九州は1つになれば日本とも互角に戦う力がある。そして九州は柔道王国。内柴正人、山下泰裕、上村春樹は熊本。園田勇、二宮和弘、中村兼三、谷亮子は福岡、古賀稔彦は佐賀、井上康生は宮崎。九州だけで11個の柔道金メダルを獲得している。国民栄誉賞、県民栄誉賞、紫綬褒章など勲章も山ほどある。九州男児は格闘技は強い。だがそのような強い九州男児の驕りが暴走することもある。
むかしのTVドラマ「0011ナポレオン・ソロ」といえば日本では「ビートルズか、ナポレオン・ソロか」といわれるほど人気が高かった。当初はソロ(ロバート・ボーン)を主人公として作られていたが、次第にイリア(デヴッド・マッカラム)の出番が増し、人気ではイリヤがソロを凌ぐようになった。テレビシリーズ105話あるが、第1話からじっくりと見る。第2話のゲストスターはアン・フランシスとジル・アイアランドと豪華。当時デヴッド・マッカラムとジル・アイアランドは鴛鴦夫婦として知られていた。3人の子どももいたが、なんとジルは1967年に離婚して、チャールズ・ブロンソンと結婚する。「夜の訪問者」「狼の挽歌」「扉の影に誰かいる」などヒット作に出演し、世界的な女優となった。しかし惜しくも1990年に乳がんで亡くなった。デヴッド・マッカラム&チャールズ・ブロンソンという二大1960年代スターを亭主にもった女優人生も稀有なものだった。ところで最近スティーヴン・ソーダーバーグ監督(セックスと嘘とビデオテープ」)でナポレオン・ソロのリメイクの製作がすすめられているという。主演は「GIジョー」のチャニング・テータム。
40年近くも前に卒業した大学から毎年いまごろ、葉書がくる。東洋史研究会への招待状である。学生、院生たちの研究発表である。これまで何度か参加したが結構よい刺激になる。ところが今年は開催を見合わせるという。理由はよくわからないが発表者が不足しているためだという。いまどきの学生はあまり勉強しないからか。そうではなくて就職活動で忙しいからだろう。このシューカツという日本語が世間でも当たり前になって、紺色のスーツをパリっと着た学生を街でもよく目にするが、気の毒におもう。企業も大学も社会ももっとよいシステムはないのだろうか。まずせっかくの大学生活最後の1年間を勉学に集中できないのはもったいない。図書館や大学設備は学生時にフルに活用しているのだろうか。教師や学生との対話はあるのだろうか。クラブ活動は充実しているだろうか。いろいろな制度は欧米を参考にするが、就活という現象は世界共通なのだろうか。就活は英語で「job hunting」なんか変だ。
イスラエル民族が荒野を放浪中、食物の欠乏に苦しんだとき奇跡的に与えられた食物をマナ(mana)という。タマリスクの木からとられる粒状の分泌物であると考えられるが、神の保護と配慮のしるしであると理解される。聖書「啓示の書」や「ヨハネの黙示録」には「征服する者には、隠されているマナの幾らかを与えよう。その小石には、これを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている」つまり白い小石を与えられし者は選ばれた者である。映画「ノウイング」にでてくる不気味な黒い小石もある種のマナのようなもので、神から選ばれた者としての証ではないだろうか。白い小石より黒の小石のほうが神秘性が増すと考えたのかもしれない。50年前に霊感を授かった少女グレースは苦しみながら拒否したため、黒い石が何個も家にあったが命を永らえることはできなかった。
ニコラス・ケージの映画はだいたい水準以上で面白い。昨夜も「ノウイング」(2009)を観る。太陽の異常活動によってオゾン層が破壊され、地球消滅。ただし、黒い小石をもらった少年少女だけが助かって、ほかは人類滅亡・・?。つまり観客も全員死んでしまう話。観るのが辛くなり、後味はすこぶる悪し。キリスト教の終末思想なのだろうか。黒い石、EEのサインも分からなかった。ディザスター映画というジャンルだそうだが究極のディザスター映画である。
題名「knowing」に関して。
knowは物や人をすでに見知っている、事柄について情報・知識を得て知っているという意味で用いられる語。knowledgeは「知識」、knowingは「知ること」か。だが「予言」「予告」に近い意味を含むのであろうか。ゲリー・ボーネルのいう「叡知(ノウイング)は、人を自由と解放に導く」。まるで国立国会図書館の玄関に掲げられた「真理はわれらを自由にする」と共通するものがある。
世界的規模の大災害が続くなかで、このような映画をつくる意図があまり理解できない。終盤に現れる宇宙人なのか、神の王国なのかもわからない。この映画はSF、それとも宗教映画?。
「渋谷で5時」と待ち合わせたのに、来なかった。彼女は渋谷と日比谷を聞き違えたという。音韻性錯誤による伝達の誤りを、防ぐ方法として古くから「フォネティクス」という方法が用いられている。むかしの電報電話用のコード、特殊無線技師、警察などで、次のような決まり文句が使われた。「朝日のア、イロハのイ、上野のウ、英語のエ、大阪のオ」である。
為替のカ
切手のキ
クラブのク
景色のケ
子どものコ
サクラのサ
新聞のシ
スズメのス
世界のセ
そろばんのソ
タバコのタ
チドリのチ
ツルカメのツ
手紙のテ
東京のト
名古屋のナ
日本のニ
沼津のヌ
ネズミのネ
野原のノ
はがきのハ
飛行機のヒ
富士山のフ
平和のへ
保険のホ
マッチのマ
三笠のミ
無線のム
明治のメ
モミジのモ
大和のヤ
弓矢のユ
吉野のヨ
ラジオのラ
リンゴのリ
るすいのル
レンゲのレ
ローマのロ
ワラビのワ
井戸のヰ
かぎのあるヱ
尾張のヲ
おしまいのン
MGMの子役スターのマーガレット・オブライエンは今どうしているのだろう?なぜ、そんなことを思い出したのかというと、芦田愛菜(7歳)とダコタ・ゴヨ(12歳)の記事で「日米天才子役が対面」とあったからだ。ダコタ・ゴヨとダコタ・ファニングとは関係がないし、そもそもゴヨはカナダ人なので日米とは変だ。つまり「日米天才子役」というフレーズが、美空ひばりとマーガレット・オブライエンを彷彿させる話題づくりである。日米天才子役といっても比較にはならず、ひばりのほうが歌唱力や演技力ではるかに上である。マーガレットは1960年代には芸能界を引退したが、それでも74歳の現在まで往年の名子役として注目されつづけているらしい。
一般的に大企業の社長や会長、自治体の市長、大学教授など社会的地位が高く、高収入で、人々から尊敬されるのが当たり前であろう。だが現実には、そういったエリートたちの呆れかえる行状がいま世間の耳目を集めている。製紙会社の井川会長が背任横領で解任しされた。井川はカジノで億単位の金を浪費し、会社に多大な損失を与えていた。またそれを社員たちは誰一人として諫言できなかった。柔道の金メダリストがセクハラで大学から解雇された。係争中の事件であり、詳細は不明なものの、セクハラというよりレイプ事件。尾鷲市長は税理士法違反で不信任を受けたのち、少女に猥褻な行為をしたとして起訴された。千葉県初の女性市長は公職選挙法に違反し、起訴されたが、「規定を知らなかった」と。議会から不信任を受け、今年再選をめざしたが落選。兵庫県でも3選した市長が公選法違反で書類送検されるという不祥事が起こった。宝塚でも市長の不祥事が2代続いて起きた。やはり背景には市民の自治体行政に対する無関心さ、甘さがあると思う。
女子の名に「子」を使わないことが、いまや一般的になってしまった。今年の人気ベストテンをみても、結衣、葵、結愛、凛、陽菜、結菜、さくら、愛菜、咲希、優奈と「子」のつく名は一つもない。平成14年に「愛子さまブーム」で「子」が復活したが、一時的なもので、むしろ「愛子」が潮目となって、「子」が衰退していった。いまや「子」はダサいといわれている。60年から80年以上は「子」が使われた時代が続いたことになる。たとえば青柳いずみこ(ピアニスト)、三井ふたばこ(西条八十の長女)、荒木みどりこ(画家)など無理やりにでも「こ」をつけていたのも面白い。真知子や菜穂子、純子、江梨子、由里子など名を聞けば、胸のときめきを覚えるのは老人だけなのか。子どもに無理に時代に抗して「子」をつけてみたとて、かつての「つる」「はな」のように明治のお婆さんをイメージするなことになっても子どもが可哀そうだ。名づけはくれぐれも慎重に。
「あんぽんたん」という言葉は江戸時代から流行語のように広まったがその語源には諸説ある。①上方の言葉で「あほだら」「あほんだら」から転じたもの。②薬の名前。富山の薬「反魂丹」になぞらえて「安本丹」(あんぽんたん)が売られた。「越中富山のアンポン丹」とはやし言葉があった。③寛政の末期、江戸に出回ったカサゴの俗称。④外来語説。フランス語あるいは中国語。「王八蛋」(忘八蛋)。⑤忘八(ぼうはち)とは遊郭の主人のこと。「八つの徳を忘れた馬鹿者」という意味で、「あの忘八蛋」から「あんぽんたん」に転化した。⑥漂流説。宝暦の頃、漂流船が長崎に滞留す、その人の言語不通にして愚痴なりしかば、その頃の流行語に人を軽侮してあんぽんたんといひしとも聞ゆ(和漢古諺)とある。近年、外来語説、忘八説も有力視されている。
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