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2011年12月19日 (月)

1302年ダンテ、フィレンツェから追放される

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    共和国フィレンツェは、ゲルフ党の2つの派、白派と黒派が対立していた。詩人ダンテは白派の一員だったが、教皇ボニファティウス8世は黒派を支持していた。1302年3月、ダンテはフィレンツェから永久追放に処せられ2度と帰ることはなかった。神曲にはヴェンデッタ(イタリア語で「復讐」の意)という側面がある。政敵ボニファティウスには神曲の中で地獄に堕ち、逆さまに穴に入れられて、燃やされるという悲惨な最期に描いている。実際に翌1303年、ボニファティウス8世はアナーニ事件の後まもなく没している。

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