太宰治と田辺あつみ
昭和5年11月29日、青森県金木町の県会議員の津島文治の弟である帝大文科第1学年学生津島修治(22歳)は、銀座のバー・ホリウッドの女給の田辺あつみ(本名は田部シメ子、19歳)と鎌倉の海岸でカルモチンによる心中自殺を図り、女を死に至らしめるという事件を起こした。
相手の女性、田辺あつみ(田部シメ子)は、当時内縁の夫である高面順三が失業中だったので、知人の紹介で銀座のカフェー・ホリウッドへ働きに出てまもなくのことであった。当時、太宰と一緒に飲み歩くことの多かった小館保や中村貞次郎ら友人の話では、太宰が銀座へ繰り出して飲み始めたのは心中の1週間ぐらい前だというから、分家除籍になった直後のころだということになる。それから心中を図った11月28日までの数日間に、19歳の美貌の人妻と太宰との間にどのような交流があったのか詳らかでないが、シメ子の側にも演劇志望の夫と広島から状況して来たものの、失業状態が続いて精神的にも経済的にもかなり落ち込んでいた事情があり、そんな時、長兄に義絶勘当を申し渡されて自暴自棄になっていた太宰と意気投合し、太宰の誘いに乗って死出の旅路を約束したものと思われる。
11月27日の午後、太宰は浅草に中村貞次郎を呼び出してシメ子を引き合わせている。その夜シメ子と太宰は帝国ホテルに一泊し、翌28日午後鎌倉に向かい、同日夜半に小動崎(こゆるぎざき)の海岸で二人ともカルモチンによる心中自殺を図った。翌朝土地の漁師に発見された時、シメ子はすでに絶命していたが、太宰は七里ヶ浜恵風園療養所に収容されて一命を取りとめた。
鎌倉署では自殺幇助の疑いがあるとみて太宰の取り調べを始めたが、「胸の病気を苦にして将来を悲観」した太宰が女を道連れにして心中を図ったとして起訴猶予となった。小山初代は結婚を目前にして、夢の出端をくじかれたので、太宰を罵って喚き散らしたという。
太宰治は後年、代表作「人間失格」(昭和23年)を書くが、この昭和5年の自殺未遂事件の翌年に「人間廃業」(昭和6年公開)というドイツ映画が日本でも公開されている。太宰がこの映画を観たかどうかはわからないが、タイトルに何か触発されたものがあるのかもしれない。
(参考:『太宰治事典』学燈社)
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