我思う、ゆえに我あり
笛卡爾
デカルトは哲学的考察をはじめるにあたって、誰しもが認めざるをえない確実で、明確・単純な事実から出発すべきであると考え、あらゆることを疑ってみる。その結果、疑っても疑いえない事実として、疑う自分につきあたる。それが「われ思う、ゆえにわれあり」という命題で、これから彼の哲学は組み立てられていく。
紀得 ジイド
湯思比 トインビー
馬克斯 マルクス
康徳 カント
里爾刻 リルケ
詩人ハイネの話によれば、カントはいつも午後に散歩をしたが、その時刻は一分と違わなかった。それで町の人々は、ときどき止まったりする大通りの時計よりも、カントの通る姿を見て、めいめいの時計を合わせたという。
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