三木佐助と鉄道唱歌
「♪汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり・・・」という鉄道唱歌は、全5集・334番からなる。作詞は大和田建樹、作曲は多梅稚(おおのうめわか)。この歌はもともと大阪の昇文館の市田元蔵が企画してつくらせたもの。しかし版元が倒産したため、その「鉄道唱歌」の版権一切を買い取ったのが三木佐助(1852-1925)という人物である。
この佐助は河内屋佐助4代目である。京都生まれで、三木家に丁稚として入った。三木家は文政以来、赤本の出版、貸本、漢籍などの販売を営んでいた。養嗣子となった4代目佐助は出版業と楽器販売などへも広げ、1925年合名会社大阪開成館三木佐助商店(現在の大阪書籍)と改称した。三木が「鉄道唱歌」第1集を刊行したのは明治33年10月のこと。楽団を組んで列車で宣伝行脚して売り込んだ甲斐あって、歌集は大好評となって、歌は全国に知れ渡った。
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