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2011年11月 7日 (月)

曲学をもって世に阿るなかれ

    漢武帝時代の官吏には、二つのタイプがあった。一つは儒教の教養によって登用された儒家的官吏であり、もう一つは法令と刑罰に任ずる法術的官吏である。司馬遷のいう酷吏である。そして、儒家的官吏の代表は公孫弘であり、法術的官吏の代表は張湯である。公孫弘は、かつて廉直な轅固生という儒者から「曲学をもって世に阿(おもね).るなかれ」とたしなめられ、また董仲舒から「従諛」(へつらいもの)と評せられた、俗物である。「曲学阿世」とは、ゆがんだ学問で(もしくは学問をゆがめて)世におもねることをいう。『史記』儒林列伝には「正学を務めて以て言え、曲学以て世に阿るなかれ」とあるのが出典である。かつて吉田茂が単独講和に反対する学者を非難して「曲学阿世の輩」と称し物議をかもしたことがある。そして、曲学阿世の輩は国家と出世欲のある限り、どの時代にも現れるものだ。いま、これを撃退するには、反出世、反権力で筆誅を加えるしかない。

「反出世」ということでは、やはり『史記』に次のような挿話がある。

    漢初、長安の都で評判だった司馬季主という易者のことばである。それは、あるとき、中大夫の宋中と博士の賈誼が、同じ日に勤め明けとなり、つれだって町に出た。折からの雨で人通りも少なく、一軒の店で易者が三、四人の弟子を相手に講釈をしていた。聞いていると、天地の道、陰陽吉凶の根源を説くさまは並の人物とも思えない。二人はすっかり感心して言った。「先生は大へんな方だ。どうしてこんな偉い方が、易者などというしがない商売をしておられるのか」易者はカラカラと笑って「学問のあるお二人とお見受けしたが、なんでそんな乱暴なことを言われる。あなた方の言う偉い人とはどういう人のことですかな」「賢人は認められて世に出る。これが偉い人物ではありませんか」そこで易者は滔々と説き出すのである。「真の賢者とは、毀誉褒貶をかえりみず、自分の信じたことをおし通す。相手が高位高官であろうがへつらわず、金や地位を得ても得々とせず、失っても平然としている、こういう人物であるべきでしょう。だが、あなた方の言う賢者とは何か。ペコペコして権勢にとりいり、徒党を組んで清廉の士を追いおとし、ひたすら出世を求める。私利をはかって、法を捻じ曲げ、下々をしいたげていばりちらす。ありもしない功績をかざりたて、空疎な文章を書き立てて国民をたぶらかす。位の上の者を偉い人と思い込み、人を蹴落として出世しようとする。強盗とどこが変わりましょう。才能もないのに位を占め、俸禄を貪り、有能の士を妨げる。これこそ位を盗む者ではありませんか。徒党を組んだ者が出世し、財産のある者が尊敬される。ひどい誤りではありませんか。真に立派な人物が用いられないようになったのは、あなた方の責任ですぞ。そもそも易者といものは、天地の法に則り、利害成否を判断し、わずかの謝礼で、人が過ちを犯さぬようにする。大金持ちになろうとか、出世しようとかは考えません。それが、なんでしがない商売と言われるのか」これを聞いて二人は「忽として自失し、茫乎(ぼうこ)として色なく、悵然として口を噤(つぐ)みて言うこと能わず」であったという。(『史記』日者列伝)

賈誼の政策 遠藤隆吉 東洋哲学10-4  1903
賈誼新書の思想 重沢俊郎 東洋史研究10-4  1949
賈誼と賈山と経典学者たち 漢初儒生の活動2 金谷治 東洋の文化と社会6  1957
賈誼の賦について 金谷治 中国文学報8  1958
漢書賈誼伝について 鎌田重雄 日本大学史学会研究彙報2  1958
賈誼の鵬鳥の賦の立場 伊藤富雄 中国文学報13  1960
賈誼  沢口剛雄 「中国の思想家 上」所収 1963
賈誼と顧租公鋳法 好波隆司 史学研究(広島)100  1967
賈誼 中国歴史双書 呉忠烈 北京・中華書局 1981

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