「枕草子」の伝本と語釈
誰しも高校古文で「枕草子」を学び、注解書の一冊くらいは所蔵しているものの、その書の底本が何にであるかを注意して学習する受験生は少ないであろう。現代はおそらくは三巻本といわれる陽明文庫所蔵をテキストとするものが多い。だが戦前の出版物であれば、春曙抄本といわれるものが多かった。春曙抄本は能因本系統の末流である。古文学習といっても大学の受験参考書であるから、三巻本が主流になることは当然である。「枕草子」には異本が多く、このほかに、前田家本、堺本がある。国文科を専攻する学生であれば、このような数種の異本を比較検討することが一つの古典研究の醍醐味となってくる。ケペルの蔵書にむかし古本屋で買った金子元臣「枕草子通解」がある。奥付の発行年は昭和30年とあるが、金子元臣(1869-1944)は明治元年の生まれであるから、実際に書いたのは、それよりもずっと古いとおもわれる。著名な学者の名前を死後も出版することは参考書の場合よくあることであった。あまりに古色騒然としているので一時は処分しようとも考えたが、全段が収録されているので保存しておいた。そして仔細に調べると、この書の底本は三巻本ではなく、能因本であることから、いまでは稀少なものであると気づいた。では、能因本と三巻本ではどのようにちがうのであろうか一例を挙げてみる。
五月六月の夕かた、青き草を、ほうにうるわしく切りて、赤衣着たるをのこの、小さき笠を着て、左右にいとおほく持ちて行くこそ、すずろにをかしけれ。(能因本247段)
五月四日の夕つ方、青き草おほく、いとうるはしく切りて、左右になひて、赤衣着たる男の行くこそ、をかしけれ。(三巻本209段)
三巻本では端午節前日であるが、能因本ではただ夏の盛りの夕刻となっている。ところで圷美奈子の論稿「枕草子 五、六月の夕がた(能因本)、「五月四日の夕つ方」(和洋女子大学紀要48 2008年)では、能因本の「ほうに」の意味がわからないとある。「方」や「盆」と解しているらしい。金子元臣によると「ほうに」は「細う」とあり、「刈り取ったのが細く見えるものをいう」と語釈されている。戦前の学習参考書も役立つときがある。むかしの学生であれば、春曙抄本で学習したので、このような疑問は生じなかったであろうが、若い古典学者にとっても金子元臣は遠い存在になったのであろうか。ただし結語の「三巻本系統本のみによって鑑賞し研究するようになった近年の状況については、ただ今、見直しの時期に来ていると痛切に感じる」は同感である。
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