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2011年10月15日 (土)

漱石と光太郎

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    大正元年の秋、銀座の読売新聞3階の催し物会場で若手芸術家たち「フューザン会」のグールプ展が開かれた。ある日、夏目漱石は寺田寅彦と共に来場、斎藤与里と高村光太郎の作品を購入したという。だが漱石と光太郎はその後、光太郎が新聞に漱石の芸術家としての態度を難じたことで不仲となった。漱石と親交のあった洋画家・浅井忠が明治40年、開設された第1回文展(文部省美術展覧会)の審査委員会委員になったことから、漱石も文展との関わりが深かった。漱石の「文展と芸術」は東京朝日新聞大正元年10月15日から28日に掲載されている。漱石は芸術への造詣が深く、己の審美眼に自信があったはずである。とくに英国留学経験から世紀末美術を愛好していたが、ようやく日本に紹介されたばかりのポスト印象派などの理解は十分とはいえない。つまり大正初期の新芸術を提唱した高村光太郎たちとは断絶があったと思われる。その間の事情は漱石が津田青楓に宛てた手紙で推測してみる。「高村君の批評の出ている読売新聞もありがとう。ちょっとあけてみたら芸術は自己の表現にはじまって自己の表現に終わるという小生の句を曖昧だといっています。それから陳腐だと断言しています。そのくせ読まないと明言しています。私は高村君の態度を軽薄でいやだと感じました」とある。(大正元年11月13日)東京朝日新聞VS読売新聞、文展(官展)VS新興芸術、といった構図もみえる。「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである」という漱石のテーゼは余裕派といわれた漱石の作家としてのスタンスでもある。芸術の最初最終の大目的は他人には没交渉である。芸術家の孤独性、純粋性といっている。文展の会場に「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである」という漱石の句が飾られていたらしい。やはり明治文人がすましているだけのことに青年には感じられるのだろう。高村光太郎の意気もまた賞賛すべきところであるか。

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