無料ブログはココログ

« 姉さん女房 | トップページ | 川上俊彦と3人の男の死 »

2011年10月25日 (火)

ふたりの国松

   現代では、誕生とともにつけられた名前を、死ぬまで用いるのが普通であるが、昔は幼名、通称、号など、一生の間にいくつもの名前を用いた。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」でも江の二男竹千代(家光)と三男国松(忠長)が登場している。病弱で吃音であった兄・竹千代より容貌端麗な国松(1606-1634)を江は寵愛していた。国松は門松丸、北丸殿、国千代などと改名されるが、視聴者には煩雑であるので、ドラマでは国松と統一されている。国松は元服してのち忠長と改名する。駿河、遠江、甲斐を領していたが、1632年に大逆不道の罪をうけ甲斐に蟄居を命ぜられ、翌年に自刃した。享年28歳。同じ頃、豊臣家にも国松がいた。豊臣国松(1608-1615)である。秀頼の子で、母は側室の伊茶(渡辺五兵衛の娘)。大坂夏の陣の後、国松は京都所司代板倉勝重のもとに連行され、六条河原で斬首された。享年8歳。

« 姉さん女房 | トップページ | 川上俊彦と3人の男の死 »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 姉さん女房 | トップページ | 川上俊彦と3人の男の死 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31