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2011年10月 1日 (土)

多治見国長と土岐頼員

   岐阜県の南東部に位置する土岐市・多治見市は美濃焼の産地として全国にその名が知られる。地名の由来は、平安末期土岐氏が起こり、中世には美濃国の守護であったためによる。多治見国長(1289-1324)や土岐頼貞(1271-1339)の名が太平記にみえる。それぞれの郷村の豪族であろう。美濃国の人、国長は日野資朝に招かれ、京都に入る。後醍醐天皇の討幕計画を画策していたが、土岐頼員(生没年不詳)の妻が洩らしたため、六波羅に計画が露見した。京都にある国長の屋敷には、小串範行が3000騎で押し寄せた。国長はもはやこれまでと覚悟を決めて一族20余人は刺し違えて果てた。土岐頼兼も討死した。これが世にいう正中の変である。土岐頼員(初代美濃守護土岐頼貞の弟)は後に足利尊氏、義詮方に属した。

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