真田一族、幸隆、昌幸、信之らは、戦国乱世を生き抜き、関ヶ原合戦では信之が東軍に属した。信之(1566-1658)は上田城主の座を安堵されたが、1622年、松代へと移された。信之は新天地で城下町の建設や新田開発を推進し、松代藩真田家10万石の基礎を築いた。松代藩は明治2年、10代藩主・真田幸民まで続く。
なお、真田幸村の長男大助は大坂夏の陣で戦死したが、二男大八(1612-1670)は仙台伊達家家老の片倉家に養子となり、片倉守信と改名した。守信の子孫は仙台真田家として今なお続いている。
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