弓削島「塩の荘園」
瀬戸内海のほぼ中央部、因島の南に位置する弓削島。面積8.8k㎡の小島である。「東寺百合文書」によると、平安時代末期に弓削島は荘園化された。はじめ後白河法皇の荘園であったが、のちに皇女の宣陽門院に譲られ、さらに宣陽門院は、鎌倉時代になって東寺(教王護国寺)に寄進した。こうして東寺領の荘園としての弓削島荘の歴史が始まり、それは室町時代の中期まで続く。そして島では中世を通じて大量の塩が生産され続けた。塩を積んだ船を操縦して港を出て行ったのは、梶取と呼ばれる人々である。鎌倉期に塩年貢の積出港として出発した弓削の港は、やがて室町時代には、ここを拠点にして多くの船舶が畿内との間を行き来していた。島にある弓削神社は、荘園時代には浜戸宮と呼ばれていた社の後身で、今も海に面した社殿や鳥居が残っている。
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