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京都市内を南北に流れる鴨川はいくつもの橋があるが、祇園や東山を散策するときは四条大橋を渡る。幕末からすでに特別な橋であったようで、新撰組隊士たちも何度となく渡った。文久3年3月、近藤勇、沖田総司らは四条大橋で殿内義雄を斬殺している。木造だった橋は明治7年に工費16,830円をかけて鉄橋として完成した。
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