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2011年10月 7日 (金)

石割松太郎の大阪毎日新聞社時代

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    人形浄瑠璃の研究家として知られる石割松太郎(1881-1936)は、早稲田大学卒業後、明治39年に堺屋石割書店を営業するもうまくいかず、後に新聞界に入り、日本新聞、都新聞、帝国新聞、大阪新聞、そして大阪毎日新聞の記者として活躍した。当時、学芸部長は薄田泣菫、副部長は深江彦一、部員には北尾鐐之介、名越国三郎、芥川龍之介、そして毛利宮彦がいた。毛利は石割より4歳年下で、早稲田の後輩にあたる。石割は昭和4年に毎日新聞社を退社し、東京に移る。生地の堺には、「石割松太郎生家の跡」の碑が建立されている。

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