哲学に志はいらない
哲学者の中島義道がこのようなことを述べている。(要約)
「志」というと、何か具体的なことを目指すという響きをもっている。弁護士になる、プロ野球選手になる。こうした具体物には必ず技術が伴う。だが、同じ意味で哲学者になるのに「志」が必要だろうか?その志というのは、哲学でメシを食うとか、立派な哲学書を書くとか、大学の教授になるとかの非哲学的具体物に置き換えて了解している。こうしたことから、哲学に関しては「志」はいらない。「志」がはっきりしていればいるほどニセモノである。
(参考:「世界思想」1997春 24号 「志」ということ)
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