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2011年9月19日 (月)

若松賤子と水島あやめ

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    若松賤子      水島あやめ「小公女」

    日本に初めてバーネットの「小公子」を翻訳し、紹介したのは若松賤子(1864-1896)である。姉妹編「小公女」は「セイラ・クルーの話」という題で、明治26年から27年にかけて雑誌に発表したが、翻訳の途中で、結核で32歳の若さで亡くなった。次いで菊池寛が昭和2年に文芸春秋から出した小学生全集に菊池自身の翻訳で、「小公子」「小公女」が収められている。しかし「小公女」が広く普及したのは、昭和14年の講談社「小公女」であろう。このときの翻訳は水島あやめ(1903-1990)という36歳の児童文学者だった。

    水島あやめ。本名は高野千歳といい、新潟県六日町(現・南魚沼町)出身。彼女は日本初の女性映画脚本家で後に児童文学作家となって多数の作品、翻訳を残している。

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コメント

「小公子」と「小公女」にまつわる岩崎賤子と水島あやめの関係について知るよすがとなりました。貴重な情報を有難うございました。岩崎賤子についてはこれから少しずつでも学んでいきたいと思っています。

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