アメリカ鉄道発達史
1810年代からイギリスに若干遅れて現れはじめたアメリカの鉄道は、クーパーがトムサム号で1830年にボルティモア・オハイオ鉄道で本格的建設を始めた。1840年には、東部および中部大西洋岸からイリノイ州の地域に広がった鉄道網は2800マイルに達し、すでに将来の鉄道王国を予想させた。1850年には9000マイルが敷設されるが、その後の10年間の伸びはいちじるしく、1860年には約3万マイルに達した。このころボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルティモアとシカゴを中心とする西部を結ぶ東西諸幹線が貫通し、1851年のイリノイ・セントラル鉄道をはじめとして、鉄道建設援助のための公有地が各鉄道会社に与えられて、西部での建設も本格化し、東部の工業地域と西部の農業生産地域を結ぶ大動脈を形成しはじめた。南北戦争中の混乱期を経て、戦後には大陸横断鉄道(1869年5月10日にユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・バシフィック鉄道がユタ州プロモントリーで結合し完成する)をはじめ西部の未開地へ鉄道が伸長し、東部のすでに鉄道を持っている地域でも間隙を埋めるかたちの建設が続き、1880年代には毎年7000マイルが増えるという最高の建設期を迎えた。この間、鋼レールの普及、機関車の大型化を中心とする技術革新が続いた。南部の鉄道網は南北戦争前には貧弱であり、戦後は北部の資本の支配を受けることになるが、80年代以降いちおう整備された。これを含めて全国的にウォール街が鉄道金融を支配することになり、鉄道経営者のなかからC.バンダービルト、A.L.スタンフォードらの富豪が続出することになった。
一方、すでに1870年代から鉄道業においても大ストライキが起こり、グレンジャー運動などの農民の反鉄道運動もみられたが、90年代の鉄道独占形成の時代には各方面で鉄道批判が行なわれた。アメリカ鉄道業は、1916年に25万マイルに達してピークを迎え、その後第2次大戦期まで黄金時代であったが、その間石油の大量生産と低価格化、内燃機関の技術革新によって大衆化した自動車、飛行機に徐々に地位を奪われ、70年代には20万マイルに減って、旅客輸送は激減し、アムトラックと呼ばれる半国鉄制度に移行した。日本と異なり、貨物輸送ではいまだに三分の一が鉄道によっているが、長距離輸送が必要なことがその原因である。(参考:小沢治郎「アメリカを知る事典」平凡社)
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