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2011年9月16日 (金)

瀧川亀太郎と「史記会注考証」

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    日本では江戸時代以来、司馬遷「史記」の底本といえば「史記評林」に拠っていたが、現在では商務印書館の百衲本、中華書局本などを使う。そのほか瀧川亀太郎が昭和7年から9年まで東方文化学院から刊行された「史記会注考証」がある。瀧川の名著はなぜか戦前の学界で評価をうけなかったが、中華人民共和国、それから台湾、香港などで続々復刻され日本にも逆輸入され、日本人研究者も史記研究には必読の書となっている。瀧川亀太郎(1865-1946)。字は資言(すけのぶ)。島根県松江の人で、松江中学から東京大学附設古典講習科(漢書課)を卒業、法制局雇となり、内閣に転じ、明治26年4月、文部大臣井上毅にその文才を認められ、大臣官房属として出仕、明治30年から30年、仙台の第二高等学校の教授を勤めた。その後、20年の歳月を費やして、「史記会注考証」を著した。その祖は戦国武将・瀧川一益の兄であった瀧川範勝で、亀太郎は10世にあたる。

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