岡田三郎助「あやめの女」
明るい藍地に目も醒めるばかりのあやめの大柄模様、それから脱け出た若い女性の肌の清らかな香気、さらにバラ色に染まったような耳のあたりの艶っぽさ、そんな構成と色彩感覚が見事である。
岡田三郎助(1869-1939)は、佐賀県佐賀町八幡小路に石尾孝基の4男として生まれる。はじめ曾山幸彦に、のち黒田清輝に学んで白馬会の創立に参加、東京美術学校西洋画科の新設に際し助教授となった。フランスに留学してラファエル・コランに師事、帰国して美術学校の教授になり、明治40年東京勧業博覧会で「某夫人像」が一等賞となった。のち藤島武二と本郷絵画研究所を設立、帝国美術院会員、帝室技芸員になり、昭和12年には第1回文化勲章を受賞したが、昭和14年9月23日没した。
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