無料ブログはココログ

« 始皇帝は水銀で死んだ | トップページ | あまり見られなくなった男子の名 »

2011年9月23日 (金)

岡田三郎助「あやめの女」

Img
     岡田三郎助「あやめの女」  昭和2年

    明るい藍地に目も醒めるばかりのあやめの大柄模様、それから脱け出た若い女性の肌の清らかな香気、さらにバラ色に染まったような耳のあたりの艶っぽさ、そんな構成と色彩感覚が見事である。

    岡田三郎助(1869-1939)は、佐賀県佐賀町八幡小路に石尾孝基の4男として生まれる。はじめ曾山幸彦に、のち黒田清輝に学んで白馬会の創立に参加、東京美術学校西洋画科の新設に際し助教授となった。フランスに留学してラファエル・コランに師事、帰国して美術学校の教授になり、明治40年東京勧業博覧会で「某夫人像」が一等賞となった。のち藤島武二と本郷絵画研究所を設立、帝国美術院会員、帝室技芸員になり、昭和12年には第1回文化勲章を受賞したが、昭和14年9月23日没した。

« 始皇帝は水銀で死んだ | トップページ | あまり見られなくなった男子の名 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 始皇帝は水銀で死んだ | トップページ | あまり見られなくなった男子の名 »

最近のトラックバック

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31