八木節は栃木民謡か、群馬民謡か?
八木節を栃木県の人は、栃木県の民謡だという、群馬県の人は群馬の民謡だと思っている。江戸時代に例幣使街道にあった八木宿でおこなわれた盆踊で、もと越後の「神保広大寺くずし」のクドキ節が土着したものが始まりで、八木宿に近い山辺村堀米に、通称堀込源太(1872-1943、本名渡辺源太郎)という馬方の美声がこれをひろめたといわれる。はじめ樽を縦にしてその鏡や胴をたたいて篠笛などを伴奏としたが、のちには太鼓や鉦などを加え、にぎやかな陽気なものとなった。なお群馬県佐波郡玉村町には、古来「横樽音頭」と「縦樽音頭」が盆踊歌としておこなわれており、ことに縦樽音頭は源太の八木節の影響をうけて、八木節といわれるようになった。歌詞はいろいろあるが「国定忠治」「鈴木主水」「まま子三次」などが知られるが、近来は唄う人が即興的に作詞することも多い。「五郎正宗」は次のとおり。「ハアー今日は七月十六日の、盆の休みで弟子どもたちは、暇をもらって遊びに行けば、後に残るは五郎が一人。そこで行光、五郎を呼んで、お前呼んだはほかではないが、ぜひに聞きたいお前の身状、ハアー今日は幸いみんなが留守よ、包み隠さず話しておくれ、言えば五郎が目に持つ涙、聞いてください親方さんよ、私や京都の三条通り母の名まえをお菊と言うて、宿屋稼業をしていたけれど、ハアー運の悪さに焼け出されて、母と私は乞食も同じ、九尺二間の裏店住まい母は縫い針洗濯仕事、私や近所のお使い致し、細い煙りで月日を送るがオオイサネ」
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