瓦林城
武庫川の西岸、阪急神戸線沿い、日野神社の参道に瓦林城址の石碑が建てられている。ただし遺構の発掘はない。近年の調査研究では、瓦林城の所在地は瓦林政頼(正頼)の墓がある極楽寺(西宮市瓦林町)のあたりではないかといわれている。文献ではこの地は、建武3年頃、もともと赤松則村が領有し、家臣の貴志義氏が瓦林城を守備したとある。その後、瓦林祖祐が三河あたりから足利尊氏に従って上京して、居城とした。この後、しばらく瓦林一族の名は文献には見えない。15世紀後半、応仁の乱に対応するため瓦林政頼が鷹尾城を築城した。政頼は、さらに細川澄元と高国との抗争では高国方に組みして越水城に移った。永正17年、越水城を開城した責めを問わされて政頼は切腹した。この跡、越水城には細川澄元の家臣であった三好氏が入り、澄元方の要城になっている。瓦林城、越水城の地はつねに戦場となっていたが、元亀元年(1570)頃には廃城となったと思われる。
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