お江と徳川和子
お江(1573-1626)は徳川秀忠との間に、3代将軍家光を始め、2男5女を儲けている。とくに末娘の和子(まさこ)は14歳で後水尾天皇の女御となり、やがて中宮に進み、後水尾天皇の譲位によって、女院として東福門院と称した。そして娘の興子(1623-1696)は寛永6年(1629)、奈良時代の称徳天皇以来、900年ぶりの女帝、明正天皇となった。また、お江が羽柴秀勝との間に生んだ女子、豊臣完子は九条家に再嫁し、その末裔は第124代昭和天皇以降の皇室の先祖となっている。徳川家と天皇家との政略結婚は現在でも継続しているのである。
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歴史上の女性で、お江はとても興味深い大好きな人物です。
投稿: | 2014年6月15日 (日) 22時24分