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2011年8月 4日 (木)

図書館員が記す図書館史1973年

  老人の暇にまかせて古い書類を整理する。黄ばんだガリ版刷りの「図書館問題研究会大阪支部報告1973年6月10日」が出てくる。読むとなかなか面白い。とくに稲垣房子の随想は、若い主婦感覚が素直に出ていてよろしい。

「情報インフレの中での図書館」 稲垣房子(大阪市立天王寺分館)

   現代に生きる私達。家庭においてテレビのスイッチを入れると、今朝の献立、明日の天気が放映され20数頁にわたる新聞が、毎朝毎夕、各戸に届けられる。隣にもあるから買ったテレビであり、なんとなく購読した新聞であっても、無ければ忘れ物をしたような気にさせられるほどそれらマスコミは私達の生活に密着している。

    ここ数十年、高度成長の名のもとに「消費は美徳である」「消費者は王様である」とおだてらり、せまい団地の中をも色々の消費財で占領されてきた。テレビといえばコマーシャルがあり、毎日何回となく、繰り返されるコマーシャルソングは子供の耳にも、老人の耳にも入り込み、知らず知らずに、「疲れたなと思ったら××ビタミンを」「電子レンジを持ってお嫁に」「全自動洗濯機を回す間に奥さんはお化粧する」企業が作り出す製品は限りなく、消費者の欲望にも限りがない。

    しかし、最近の恐ろしいばかりの物価高騰の中で、人はもう一度身の回りを見わたし、かしこい消費者に生まれ変わろうとしている。「買占め」が流行語になり企業のやり方が表面化する中で、人々はそのからくりを知るため、正しい情報を求めようとしている。一方的なコマーシャルに騙されない、正しい知識、手のあれない洗剤は本当に人体にも無害か。米の流通機関はどうなっているのか。かっこいい新型車は本当に安全か。等等。

 今こそ、正しい情報を伝える私達が図書館の役に立つ時ではないだろうか。住民の求める情報を正確に迅速に届けること。今までの図書館はどれほど役立ってきたであろうか。種々の資料を整備し、多量の資料群の中から利用者の求める資料を導いていくことこそ、司書の専門性であろう。もちろん、そのうえでの資料の選択は利用者の権利として守らなければならない。マスコミは使い捨ての情報である。テレビ・ラジオはもちろん、新聞・雑誌もその時限り、目に触れ、耳に聞こえる断片の情報である。出版王国の我が国では単行本でさえそうである。人々はそれに満足することなく、「もっと体系的に知りたい」或いは「××についてたしか2週間ほど前の新聞に載っていたが、どこにあるか」という質問をしてくる。求められるものはそれだけ多様化し、量的にも増えている。古い資料、最新の資料、中学生の読み物、専門家の読み物。整備された図書館網で応えなければいけない。

 情報インフレの波に押し流されそうになっているのはほかならなぬ私達図書館員かもしれないが、その中に踏みとどまり、交通整理をしていくのが私達の仕事であろう。

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