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2011年7月27日 (水)

カエサルのものはカエサルに

   エルサレムの祭司長や律法学者たちは、イエスを捕らえたいと思ったが、彼は民衆のあいだに人気があったので、やたらに、捕らえることはできなかった。そこで、彼等はなにか口実になるような言質をイエスからとりたいと思い、回し者を、イエスのところに使わした。そして「税金をローマに納めるべきかどうか」と聞かせた。当時、ユダヤはローマ人の支配下にあったから「税金を納めないでよい」といえば、ローマに対する反逆として訴え、「税金を納めよ」といえば、独立を欲しているユダヤ人民衆の気持から、イエスを離反させうると思ったのだった。

    しかし、イエスは、この相手の罠に気づいて、間接的にたくみに答えた。デナリ貨幣を1つ持って来て見ると、「貨幣についている肖像は誰のか」とたずねた。「カエサルの像です」と答えると、「それでは、それはカエサルのものだから、カエサルに、しかし神のものは神に返しなさい」と言った。聖書マタイ22-22に名を挙げられたカエサルとはどのような意味合いがあるのだろうか。当時、政権の座にあった皇帝はティベリウスで、デナリ銀貨もティベリウスの肖像であったと思われる。イエスはティベリウスに限定するつもりで述べたのではないようである。「カエサル」という語は、民事当局すなわち政府、国家を象徴していた。ガイウス・ユリウス・カエサルの家名として、ローマ皇帝の幾人かは、みずからカエサルと名乗った。つまりカエサルという家名は、権力の頂点に立つ支配者と同義語となっている。

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