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萩沖約45kmの日本海上にある見島に幕末の勤皇志士富永有隣(1821-1900)が流されたのは嘉永5年のことである。有隣は維新後も官に就くことなく、周防田布施町で私塾を開いた。明治末期までその名声はあったらしく、国木田独歩が有隣をモデルに「富岡先生」(明治35年)を書いている。
(参考:玉木俊雄「勤皇志士富永有隣先生小伝」 富永有隣先生事蹟顕彰会 昭和11年)
山口市正護寺境内にある「富永有隣先生招魂之碑」
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