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2011年7月27日 (水)

寂寥感を感じるとき

   冠二郎の「旅の終わりに」は大正10年の「流浪の唄」とよく似ている。「流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路」。「流浪の唄」は「流れ流れて落ち行く先は 北はシベリア 南はジャワよ」。「旅の終わりに」の作詞は立原岬。実は五木寛之の変名である。このような「さすらい」とか「寂寥感」、旅の孤独をうたう歌は数多くある。だがシベリアもジャワも文明化して、いまではあまり寂寥感を感じない。どこなら寂しさを感じられるだろうか。

A001420絶海の孤島で一人残されたときC0025741_1974565東京が砂漠になったとき
Chikyu0083
宇宙に一人さまようとき
Pyle 地球上で最期の人類になったとき

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