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冠二郎の「旅の終わりに」は大正10年の「流浪の唄」とよく似ている。「流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路」。「流浪の唄」は「流れ流れて落ち行く先は 北はシベリア 南はジャワよ」。「旅の終わりに」の作詞は立原岬。実は五木寛之の変名である。このような「さすらい」とか「寂寥感」、旅の孤独をうたう歌は数多くある。だがシベリアもジャワも文明化して、いまではあまり寂寥感を感じない。どこなら寂しさを感じられるだろうか。
絶海の孤島で一人残されたとき東京が砂漠になったとき宇宙に一人さまようとき 地球上で最期の人類になったとき
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