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ルーブル美術館にアングル「グランド・オダリスク」がある。ヨーロッパでは、特に宮廷のハレムに住まう女性たちは、「君主の居室」を意味するトルコ語のハス・オダルク(Has Odalik)から訛ってオダリスク(Odalisque)とも呼ばれていた。19世紀初め頃、フランスの勢力が近東方面にのびるにしたがって、トルコやアラブの異国情緒がフランスに入り、画家たちもしきりにトルコ風物を画題とした。アングルの裸婦はとくに有名であるが、ルノワールやマティスもオダリスクを重要なモティーフとして作品を残している。現代でも世界の芸術家たちが「オダリスク」に憧れて、幾多の模作、偽作を残している。
楽山は四川省の中南部、成都からは南西に約160km離れた位置にある。西には「天下第一の美しさ」とたたえられた峨眉山が聳える。楽山は昔から自然が豊かで、多くの民が暮らす「魚米の里」として知られていた。新石器時代は長江文明で栄え、四川が巴や蜀と呼ばれていた時代は蜀王開明氏の部族が暮していた。秦漢には南安県(漢書地理志に犍為郡南安県とある)に属し、北周の時代に嘉州と改められた。宋の時代に行政単位が格下げられて嘉定府となり、明大に嘉定州、清代には楽山県と改称され、現在、楽山市となっている。
高さ71mの世界最大の磨崖仏「楽山大仏」は世界遺産となり観光スポットである。玄宗皇帝の開元元年(713)に海通和尚の発願により開削が始まり、90年後の貞元19年(803)にようやく完成した。当初は、大仏を保護するために13層の木造楼閣でおおわれていたが、明代末に焼失し、露天仏となった。
「スター・ウォーズ」(1977)のレイア姫キャリー・フィッシャー、「ハノーバー・ストリート」(1979)の看護婦レスリー・アン・ダウン、「ブレード・ランナー」(1982)のショーン・ヤング、ダリル・ハンナ。
「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(1984)のケート・キャプショーはスティーブン・スピルバーグ夫人。「刑事ジョン・ブック目撃者」(1985)のアーミッシュの女性はケリー・マクギリス。「モスキート・コースト」(1986)のヘレン・ミレンはオスカー女優。「フランティック」(1988)のベティ・バックリーとエマニュエル・セイナー。
「ワーキング・ガール」(1988)のシガーニー・ウィーバーはエイリアン女優。メラニー・グリフィスはご主人のアントニオ・バンデラスが有名。「推定無罪」(1990)のボニー・ベデリアとグレタ・スカッキ。
「心の旅」(1991)のアネット・ベニングはウォーレン・ビーティー夫人。「パトリオット・ゲーム」(1992)のアン・アーチャー、ソーラ・バーチは「今そこにある危機」(1995)でも共演。ソーラは「アメリカン・ビューティ」でブレイク。
巨人対横浜の攻防戦はまさに最下位にふさわしいような凡戦だった。5回裏の巨人の攻撃。ラミレスのフェンスにあたるシングルヒットで同点。さらに2、3塁のチャンス。ここでフィールズが空振りの三振。万事休すと思ったが、捕手が後逸、ボールはベンチのほうへころがっていく。フィールズの三振で2点を勝ち越し4-2。フィールズの来日以来最高の殊勲はなんと2ラン振り逃げだった。
人間は死ぬとどうなるのか。塵や灰となって大地へ還るのか。人は死ぬと霊の世界で先祖と共になるという教えもあれば、死者は黄泉に行き、裁きを受けてから別の体を着けて生まれ変わるという教えもある。これらの宗教上の教えには、基本的な1つの共通点がある。それは、体が死んでも人の一部分は生き残るという考えである。人間が死後も、見る、聞く、考えるといった能力を持ち、何らかの形で永久に生きつづけるという教えは、昔から今に至るまでほとんどの国、民族にある。古代エジプト人はミイラにして原形に近い形を保存しようと考えた。現代でもロバート・エッチンガー(1918-2011)は将来的に蘇生技術が進歩するのを待って、人体冷凍保存法を考案した。エッチンガーの2人の妻と母は今も冷凍保存されているし、ウォルト・ディズニーの遺体はディズニーランドに安置されているという。元来、キリスト教国が土葬にこだわるのも、復活の思想があるからであろう。科学的な論理ではなくて、信仰的体験に基づいたイエスの復活が神の力によって、死の支配する力を打破すると信じている。一部の信者たちの間では、人が死後に霊の世界に行くわけではなく、「終わりの日」の後、楽園となる地上で永遠に生きるという神との約束があると固く信じている人たちもいる。蘇生技術が進歩したとしても、脳にある過去の記憶までも再生できるようになるのか、疑問の多い話である。
ニューロティック(neurotic)とは「神経過敏な」という意味。精神分析好きのアメリカ人は第二次世界大戦後、ニューロティック・スリラーが流行した。アルフレッド・ヒッチコックは、精神科の女医と記憶喪失の男性の恋を描いた「白い恐怖」(1945)を、ビリー・ワイルダーはアルコール中毒の男の異常心理を「失われた週末」(1945)で、ジョージ・キューカーはブロード・ウェイの舞台俳優が現実と芝居との境界線を見失い、自らの心臓を短剣で突き刺すという「二重生活」(1947)を描いた。最初は「キャット・ピープル」といわれる。ニューロティック映画は50年代、60年代も作られた。セス・ホルトの「恐怖」(1961)、ロバート・ワイズ「たたり」(1963)、「何がジェーンに起こったか」、「反撥」(1964)、デボラ・カーの「回転」など。
エルサレムの祭司長や律法学者たちは、イエスを捕らえたいと思ったが、彼は民衆のあいだに人気があったので、やたらに、捕らえることはできなかった。そこで、彼等はなにか口実になるような言質をイエスからとりたいと思い、回し者を、イエスのところに使わした。そして「税金をローマに納めるべきかどうか」と聞かせた。当時、ユダヤはローマ人の支配下にあったから「税金を納めないでよい」といえば、ローマに対する反逆として訴え、「税金を納めよ」といえば、独立を欲しているユダヤ人民衆の気持から、イエスを離反させうると思ったのだった。
しかし、イエスは、この相手の罠に気づいて、間接的にたくみに答えた。デナリ貨幣を1つ持って来て見ると、「貨幣についている肖像は誰のか」とたずねた。「カエサルの像です」と答えると、「それでは、それはカエサルのものだから、カエサルに、しかし神のものは神に返しなさい」と言った。聖書マタイ22-22に名を挙げられたカエサルとはどのような意味合いがあるのだろうか。当時、政権の座にあった皇帝はティベリウスで、デナリ銀貨もティベリウスの肖像であったと思われる。イエスはティベリウスに限定するつもりで述べたのではないようである。「カエサル」という語は、民事当局すなわち政府、国家を象徴していた。ガイウス・ユリウス・カエサルの家名として、ローマ皇帝の幾人かは、みずからカエサルと名乗った。つまりカエサルという家名は、権力の頂点に立つ支配者と同義語となっている。
「♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪~」春日八郎の「お富さん」(昭和29年)は歌舞伎「与話情浮名横櫛」の一場面「源氏店」から題材を得ている。当時、明るく小気味よいテンポで宴会ソングの定番となり大ヒット。子供達も意味もわからずに盛んに歌っていた。梗概を記す。
伊豆屋与三郎は木更津へ出養生に行ったとき、土地の貸元赤間源左衛門の妾お富と互いに見染めて密会するまでになるが、露見して源左衛門のためなぶり切りにされ、全身に34か所の刀傷を受ける。お富は投身するが、和泉屋の番頭多左衛門に助けられて囲い者となる。それから3年、ならず者の群に落ちた与三郎は、ある日、相棒の蝙蝠安と強請りに行った源氏店の妾宅に、死んだと思ったお富を見いだす。安楽そうなお富を見て、与三郎は胸のほむらを燃やすが、やがて主人多左衛門ことお富の兄とわかり、その情けで2人の仲は元に戻る。その後、与三郎は和泉屋で強請りを働き、そこで実母に会うが、まもなく捕らえられて島流しになる。やがて、島を抜け出した与三郎は伊豆屋の養父にそれとなく対面して別れを惜しみ、大崎の顔役観音久次のところで今はその女房となっていたお富と三度めぐり会う。家来筋にあたる久次の切腹で、その血を服した与三郎は疵がなおる。
「清張日記」を読む。昭和55年1月から昭和57年11月までの読書日記、取材メモなど。いまなら松本清張オフィシャル・ブログか。昭和56年5月5日(火)の記事。
奈良女子大学名誉教授某氏の「奈良散歩」を読む。その文学的主情過多に閉口する。かかる抒情性の過剰ないし感激性は、亀井勝一郎「大和古寺風物誌」や某女流随筆家の奈良紀行文についても云えることなり。亀井氏は和辻哲郎「古寺巡礼」を追いたるならんも、及ばざること遠し。同じ奈良女子大学の教授たりし婦人の「古京の芝草」は、戦前に読みて、その万葉集を織りたる紀行に感心せり。著者は野上弥生子の弟子たりとたしかその序文にありしと憶ゆ。いま、その名を思い出せず。わが貧架にもその本見当たらず。近時、奈良女子大卒の人に訊けど、その名を知らず。
この記事で2人の匿名の学者が挙げられている。清張に主情過多と評された人は、寺尾勇(1907-2002)である。寺尾は奈良教育大学名誉教授で美学者、94歳で亡くなっている。奈良・飛鳥の景観保存でよく知られた。「奈良散歩」は昭和25年に「あしびや出版部」から、昭和43年に「創元社」から刊行されているが、清張が手にしたのは創元社版であろうか。清張が若き日に読んだ「古京の芝草」の著者は岡田弘子である。昭和16年に立命館出版部から刊行されている。岡田のことは、歌集「やせ猫」(昭和13年)の著作があること以外、生没年すら不明である。
クリストファー・マーロー ジョージ・チャップマン
ベン・ジョンソン トーマス・ミドルトン
シェイクスピア(1564-1619)のほかにも多くの劇作家たちがいた。「ユー・フュイーズ」のジョン・リリー(1554-1606)は人文主義的教養を身につけた人だった。クリストファー・マーロー(1564-1593)は「タンバレン大王」などで成功を収めたが、29歳で刺殺された。フランシス・ボーモント(1584-1616)とジョン・フレッチャー(1579-1625)は合作による悲喜劇で知られた。ロバート・グリーン(1558-1592)は文筆で生計を立てた最初の職業作家。トマス・キッド(1558-1594)は「スペインの悲劇」でラテン劇をイギリス化することに成功した。トマス・ナッシュ(1567-1601)は英語で書かれた最初のピカレスク小説「悲運の旅人」を書いた。ジョージ・チャップマン(1559-1634)は劇作家としてだけでなくホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」の翻訳でも知られる。トマス・デッガー(1572-1632)は興行師P・ヘンズローに雇われて戯曲を書く。代表作「老フォーチュネイタス」「靴屋の休日」「ロンドンの7つの大罪」。ベン・ジョンソン(1570-1637)はケンブリッジ・オックスフォード両大学から名誉修士号を受けた博学の古典主義作家で文壇の大御所。代表作「十人十色」「ボルボーニ」。「チープサイドの貞淑な乙女」のトーマス・ミドルトン(1580-1637)もいる。
暇つぶしに中学生時代から使っていた帝国書院の地図帳を眺める。最近は孤島探しがマイ・ブームである。山口県萩市の北45kmの日本海に位置する小島を発見。「見島」みしまぁ?と読むのだろうか。半世紀以上も日本で暮してきたが、一度も見島を意識したことなかった。山口県の人でも一度も行ったことがないという人は多いそうだ。萩港から高速船で約70分。周囲18kmの島には宇津観音堂ぐらいしか見るべきものはないが風習や生態系が独特で、日本で最も古い和牛と言われる見島牛、見島カメと呼ばれるイシガメやクサがメはいずれも天然記念物になっている。松下村塾の助教をしていた富永有隣(1821-1900)が見島に流されたことがある。航空自衛隊の基地があって兵士たちが日夜テポドンから日本を救うため頑張っている。
第1問。世界総人口は? わが国の人口は 128,056,026人(平成22年国勢調査速報値)であるが、その後の大震災などで実数は大きく変動していると考えられる。世界の人口は約70億(今年10月末)といわれ、日本は世界第10位である。日本の人口も誤差があるが、世界総人口が正確に70億人であるかは、本当のところ誰にもわからないことである。つまり現在の基本指標すら把握していないほど地理はあいまいである。
第2問。ナポレオンはフランス人か?地中海に浮ぶコルシカ島で1769年にナポレオンは生まれた。前年にコルシカ島はジェノバ共和国からフランスに割譲されたので、国籍上はフランス人である。だが気質的にはコルシカ人と言ったほうが相応しい。民族と国籍との問題は地理の重要なテーマであるが、あいまいである。
第3問。単一民族国家と複数民族国家とは何か。一般に多くの民族によって形成されている国家を複数民族国家と呼ぶ。中国は漢民族と55の少数民族がいる。ロシアには182の民族が存在している。ところで日本を単一民族国家と呼ぶのは、適切ではないのだろうか。アイヌ民族がいるので政治家などが発言すると、少数民族を無視したこととなり、批判される。つまり厳密な意味での単一民族国家は世界には存在しない。コルシカ生まれのナポレオン、オーストリア生まれのヒトラー、民族とか国家とか、あいまいなものでしかない。そのあいまいな民族、国家の問題にこだわる事から複雑な対立や紛争が生ずる。地理を学習することで、国際理解を深め、世界的立場で協調してゆくことが大切であろう。
CATALOGING
地理 合格圏13 矢沢大二 旺文社 1965
地理学史の研究 鮎澤信太郎 愛日書院 1948
地理学的歴史と方法 野田三郎ほか 大明堂 1959
地理研究 新制版 浅香幸雄 績文堂 1965
地理の新研究 改訂版 野村正七・手塚忠則 三省堂 1967
地理学文献目録3 1957-1961 人文地理学会編 柳原書店 1963
世界的な歌手エイミー・ワインハウスが7月23日、北ロンドンのカムデンの自宅で死亡しているのが発見された。死因は現在のところ不明。27歳の死はあまりに早い。ジミー・ヘンドリックス、カート・コバーン、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ、なぜか27歳で早世するミュージシャン人が多い。エイミーはこれまで薬物やアルコール依存の問題を指摘されていた。オーバードースの問題は全世界的な広がりを見せ、人間の生命はもとより、社会や国の安定を脅かすなど、深刻な社会問題となっている。わが町でも大学などで、若者を中心に薬物が売買されているというショッキングな事件が起きている。大学当局の薬物根絶の取り組みは甘い。薬物乱用を根絶することが大事だ。
「平和な国」という印象があるノルウェーで起こった連続テロ事件は世界を震撼させた。当初はイスラム過激派の犯行と思われたが、逮捕されたのは欧州で最近増加するイスラム系移民に反発する極右思想の青年アンネシュ・ブレイビク(32歳)だった。熱心なキリスト教徒がなぜ残虐な犯行に及んだのか。ブレイビクは2年前から周到な犯行を計画していた。インターネット上にある青年の文書には日本を「多文化主義を拒否している国」として称えている。欧州では従来移民政策には寛容であったが、最近ではキャメロン英首相やメルケル独首相も、自国の多文化主義を失敗と認めている。93人の犠牲者をだした最悪の事件であるが、ノルウェーは1979年から死刑を廃止している国。動機の解明などはこれからであるが、世界は国際化と愛国主義との狭間で苦しんでいるように思える。そして人類を救うはずの宗教の対立が根底にあるということは皮肉なことである。
木田高介といっても知る人は少ない。その昔、高石ともやとナターシャセブンというバンドにいた。つまりフォークとは関係が深い音楽家だが、いまではニューミュージック育ての人という評価がされている。フォークはギター1本で曲よりも詩を重視する傾向が強いが、ニューミュージックはより楽曲を重視する。木田は編曲家としてかぐや姫「神田川」にあたった。以後、ニューミュージックの多くの楽曲の編曲を手がけている。1980年5月、山梨県河口湖沿いの道路を車で走行中、カーブを曲がりきれずガードレールを突き破り転落死した。同乗の阿部晴彦も亡くなった。葬儀で木田の妻の悲嘆ぶりをみた五輪真弓は「恋人よ」をつくったという。
ケニアの原住民たちはケニア山を「キリニャガ」(神の山)と呼んでいた
現在インドの都市ボンベイやマドラスは、それぞれ「ムンバイ」「チェンナイ」という。学校で覚えた地名を新しい表記で覚えるのは、すこし努力がいるがボケ予防に声に出したりして、覚えるようにしている。英語を現地の読み方に変えたものが多い。
ボンベイ→ムンバイ(インド)
マドラス→チェンナイ(インド)
セベレス→スラヴェシ(インドネシア)
ボルネオ→カリマンタン(インドネシア)
セイロン→スリランカ
アレッポ→ハレブ(シリア)
ニコシア→レフコシア(キプロス)
ケニア山→キリニャガ山(ケニア)
オポルト→ポルト(ポルトガル)
コルシカ→コルス(フランス)
カザン→カザニ(ロシア)
アストラハン→アストラハニ(ロシア)
「ピンチランナー」(2000年)という映画を知っているだろうか。モーニング娘が駅伝ランナーに扮するアイドル映画。それにシドニー五輪女子マラソン4位のケニアのエスタ・ワンジロがすこし出演している。当時は日立の所属だったからだろう。ワンジロは日本で育ったマラソンランナーだが、4位入賞という活躍にもかかわらず、高橋尚子の影に隠れて彼女の入賞のことは誰も記憶に無い。ワンジロはいまどうしているのだろう。
後半に粘って7位入賞した山口衛里も大健闘だった。市橋有里も15位だったが、高橋が18キロ地点でスパートするまでトップに付いていた。2位のリディア・シモン、3位のジョイス・チェプチュンバはシドニー後も多数のレースに参加している。とくにシモンは五輪・世界陸上と合わせると7回入賞し、これは最多記録である。高橋尚子だけは現在もヤマダ電機のCMでよく観る。光あるところ影があるが、影の人生にも花あれ、幸あれ。
なでしこジャパンの凱旋帰国。大勢の報道陣に囲まれて緊張のうちにも爆笑の記者会見。日本女子サッカーリーグは1989年に誕生したが、わずか20年の歴史で世界の頂点となった。佐々木監督は北京オリンピックの後で、やるからにはチャンピオンをめざすチームをつくるべきだと澤と話しあったと会見で述べている。そして「日本の女子はサッカーに適している」と語った。澤は「中学生の女子がサッカーができる環境を整備してほしい」と述べている。ますます女子サッカー熱は高まるだろう。それにしても「なでしこジャパン」というネーミングは良かった。男子は「岡田ジャパン」のように監督名で呼んでいる。2004年に公募したそうだ。「ヤタガールズ」(八咫烏に由来)や「ドリームブルー」などがあった。「サッカーとカラス??」と思うかもしれない。熊野那智大社の八咫烏は神武天皇東征の時に導いたとされ、サッカー協会と関係が深く有力候補だった。でも本当にネーミングは「ヤタガールズ」ではなく「なでしこジャパン」でよかった。だが奇蹟的な勝利は神がかり的であり、熊野那智大社に必勝祈願したご利益かもしれない。
かつて「交通戦争」という言葉があった。1961年、読売新聞が「交通戦争」と題したキャンペーンを展開した。それは交通事故死が毎年1万人を超え、10年間で10万人以上、つまり戦争規模の死者がでるからである。(日露戦争、戦死者88000人) 近年は、年間5000人を下回るようになり減少傾向にある。ところがこれは統計上の話。警察の統計では、事故による被害者が事故発生から24時間以内に死亡した場合が交通事故死である。救急医療の発達によって救命率が上昇し、交通事故死は減少したが、一命はとりとめたものの、後遺障害に苦しむ被害者は増加し、2003年には事故後1年以内の死亡者は1万人を超えている。2008年から負傷者数が年間100万人を割り込んだものの交通事故件数は少なくなっていない。先日、「だんご3兄弟」の歌のおにいさん、速水けんたろうが川越市で通行人の女性を車ではね死なす、という報道があった。かつて大相撲力士・闘牙が大阪で女性をはねて死なすという人身事故があった(2000.12) 。交通事故は、一瞬にして被害者も加害者も人生を狂わす。ドライバーはくれぐれも安全確認、安全確認、安全確認!である。
夏の楽しみは怪談やホラーだろう。夜中にスリラーを読むのもいい。ホラー漫画がいろいろある。本屋で「ちゃおデラックス・ホラー」(ちゃお7月号増刊)を買った。店員さんが「これじゃないですね」と月刊の「ちゃお」を見せた。「ああ、もちろん。増刊号は読みきりだからね」
店員さんは女の子雑誌を買うので、てっきりお爺さんが孫の使いで「ちゃお」を買い間違えたのではないかと、確認したのである。図書室では臨時号や増刊号に人気がある。大人が短編を好むように、子どもも結末がすぐわかるのがいい。オール新作「ショコラの魔法」みづほ梨乃ほか20本。
今月から新聞購読を止めた。なんでも情報を収集しようとするのはやめた。むしろ重要なニュースはテレビやネットでも見れるし、興味ある記事はネットで探すことにする。菅首相の脱原発の記者会見は重要な出来事なのだろうか。13日さかんにテレビで報道していたが、あれこそ夏のミステリーだ。立派なことを述べていたが、あれは政府の見解ではなく、個人的な考えを示したものだという。銭湯での定吉や権助の雑談と変わりないのか。希望や観測はもういい。政治をしてほしい。
いまCSで放送の萬屋錦之助の「赤穂浪士」(1979年)を毎日見ている。大佛次郎の原作で堀田隼人、お仙、蜘蛛の陣十郎など架空の人物が登場する。多彩な出演者だが、若手の小山田庄左衛門とお幸の悲恋がいい。純情可憐な相原友子もいいが、庄左衛門を演ずる三沢慎吾が上手い。大石の優柔さに苦悩し、恋に悩む己の未熟さを恥じる。「死びと」という言葉も効果的である。声の調子、表情など舞台出身らしく、感情表現が秀逸。ルックスもよく美男である。なぜ売れなかったのだろうか不思議だ。ネットで調べると、アメリカ留学し、多方面の活動をしているらしい。現在、再び水澤心吾と改名し役者に挑戦している。「杉原千畝 一人芝居」を演じて好評を博している。なお相原とは「わたしは海」での息のあった名コンビだった。
今年の原監督の采配は全て裏目に出る。原監督、コーチ陣の体質に問題があるように感じる。新ストッパーの東野はマウンドの表情に立ち向かうような気迫が感じられなかった。たぶん本人の気持ちの整理ができていないのだろう。満塁策で桧山に簡単に外野フライを打たせてゲームセット。やはり先発投手の習慣が抜けきれず、三者三振を求められるクローザーとしての気迫がない。打線も期待の新外国人フィールズは藤川の速球に振り遅れていた。フィールズの守備も不安材料だ。ヒットだったが強い打球を処理できなかった。ベースに当たった打球の処理もいただけない。つまりライアルとあまり変わらない戦力だろう。日本ハムの高橋、ロッテの大村もかわいそうだ。それより外野手の谷、三塁手の古城などの出番はまますます減るだろう。目先の勝利で焦りすぎの感じがする。接戦で負けているだけで選手の起用法に無理があるのだろう。フィールズももう少し日本の野球に慣れてから出場すれば本領を発揮するかもしれないが、なかなか急に打てるものではない。広島に3連勝したのに、フィールズと東野の起用法は凶となった。ロミロ、アルバラデホと選手を指導・育成するのではなく、無闇に使い棄てするのが原野球なのだろうか。最後に東野のことだが、マウンドで深呼吸を何回もしたり、顔をしかめたり、感情がすぐ表情にでるタイプだ。プレッシャーに弱い。つまりクローザーに向かない。
英語ではボルネオ、インドネシア語ではカリマンタンと言う。グリーンランド島、ニューギニア島に次いで世界で3番目に面積の広い島。ボルネオは「ブルネイ王の国」からヨーロッパではこの地名が用いられた。最近は、島全体を指すときはボルネオ、インドネシア領を指すときはカリマンタン、と使いわけられることがある。カリマンタンとは「マンゴの国」の意味。現在、島はマレーシア領、ブルネイ領、インドネシア領に分かれる。マレーシア領は旧イギリス領で、サラワク、サバなど。インドネシア領は旧オランダ領。
何頃から「カリマンタン」と呼ぶようになったのだろう。手元にある古い地図帳(昭和46年)には、ボルネオの括弧書きで「カリマンタン」とある。セレベスは「スラウェシ島」とある。中国側の地図には「加里曼丹」と表記されている。スカルノが反帝闘争を展開した1965年頃のことであろうか。
現在、地球上には約70億の人びとが村落や都市に居住している。だが普通の人は学校で習ったことがいまだに記憶として残っているものだそうだ。世界の人口が30億と答えた人はだいたい60歳前後だろうか。(1961年が30億) 40億と答えた人は50代だろうか。(1971年が40億)50億と答えた人は40代。(1987年が50億) 60億と答えた人は30代(1999年が60億) 世界の人口を質問すると世代がだいたいわかる。
世界的にみると、都市部に人口集中が進んでいる。先進国は総じて人口増加率が低いが、アメリカは例外。ヒスパニックなどマイノリティーとよばれる層の出生率が高いためである。日本は2005年から総人口の減少が始まり、少子化傾向が続く。少子化対策担当大臣(現在は与謝野馨)も置くがほとんど無策といってよい。2008年には奈良で妊婦たらいまわし事件が起こった。産科施設不足は大きな問題だ。
世界的センセーションを巻き起こした有名女優たちは今どうしているのだろうか。「おもいでの夏」のジェニファー・オニール、「ポセイドン・アドベンチャー」のパメラ・スー・マーチン、「テン」のボー・デレク、「シシリアの恋人」のオルネラ・ムーティ、「わが青春のフローレンス」のオッタビア・ピッコロ、「ラスト・ショー」のシビル・シェパード、「コンペティション」のエーミー・アービング、「愛の嵐」のシャーロット・ランプリング、「卒業」のキャサリン・ロス、「アメリカの夜」のジャクリーン・ビセット、「あの空に太陽が」のマリリン・ハセット、「ドラゴン怒りの鉄拳」のノラ・ミャオ、「いちご白書」のキム・ダービー、「エンドレス・ラブ」のブルック・シールズ、「チャーリーズ・エンゼル」のシェリル・ラッド、「ノーマ・レイ」のサリー・フィールド、「グッバイ・ガール」のマーシャ・メイスン、「個人生活」のシドニー・ローム、「雨の中の女」のシャーリー・ナイト、「アメリカン・グラフティ」のシンディ・ウィリアムズ、「コレクター」のサマンサ・エガー、「誘惑されて棄てられて」のステファニア・サンドレッリ、「スーパーマン」のマーゴット・キダー、「テス」のナスターシャ・キンスキー、「悲しみの青春」のドミニク・サンダ、「ジェラシー」のテレサ・ラッセル、「青春の旅情」のキャロル・リンレイ、「ドクトル・ジバコ」のジュリー・クリスティ、「まぼろしの市街戦」のジュヌビエーブ・ビュジョルド、「パラダイス」のフィービーケイツ、「ハンナとその姉妹」のミア・ファロー。懐かしい・・・ちょっと太った人もいるけど・・みんな元気そう。映画オタクの夢の同窓会。
6日のヤクルト4-2巨人戦。先発金刃には荷が重い試合だ。館山の立ち上がりの甘い球を攻められなかった打線の弱さがすべてだ。泥沼3連敗で今季最多借金9。ヤクルト小川と原巨人のリーダーの差と見える。コーチ陣の指導力不足も明らか。新外国人はもう信用できない。小笠原、高橋の復活はないかもしれない。好調だった坂本、長野にもチーム不振で低下するだろう。今年の収穫は澤村と藤村だけだった。オールスター前に沈没するとは誰が予測しただろうか。
辞任した松本復興相の発言で「九州の人間ですけん、語気荒い」と釈明したことが気にかかる。むしろ大臣という高い地位で被災地を恫喝することが九州男子のすることかと世間は呆れているだろう。九州男子とはウィキペディアによると4つが複合しているという。①福岡の博多山笠などにみられる勇ましい男の姿②無法松③肥後もっこす④薩摩隼人
古来から九州は大陸文化の玄関口として発達してきた。まぼろしの邪馬台国を信じている人も多いし、九州王国という言葉もつかわれる。明治政府を相手に戦争したのは九州の士族たちであろう。明治以来、偉人も多く輩出している。黒田清隆、松方正義、大隈重信、山本権兵衛、清浦奎吾、広田弘毅、村山富市、麻生太郎、総理大臣を8人もいる。そのほか西郷隆盛、大久保利通、副島種臣、小村寿太郎、東郷平八郎。学者では福沢諭吉、北里柴三郎、元田永孚、長岡半太郎。財界人も多い。ブリヂストンの石橋正二郎、三越の日比翁助、日本電気の岩垂邦彦、出光興産の出光佐三、電力王の松永安左エ門、紡績の和田豊治、キャノンの御手洗毅、グリコの江崎利一、森永ミルクキャラメルの森永泰一郎など。たしかに九州には偉人は多い。気性が荒く、男らしい性格の人が多いのだろう。だが「九州男子」と偉ぶるところは好きになれない。まぼしろの邪馬台国のように、やがては九州男子がまぼろしとなるかもしれない。
女優にはハマリ役がある。「おしん」(1983)は海外でも放送され、人気を博したことはよく知られている。いまも国内でCSで再放送されているし、地球のどこかの国で放映されているだろう。小林綾子はいつまでも子役のおしんのイメージがある。実際は38歳女ざかりで2008年からは舞台の「おしん」で主役をつとめている。
洋画で一世一代の当たり役といえば、「ターミネーター」(1984)で孤高の女戦士サラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトンだろう。その後、監督のジェームズ・キャメロンと結婚したが、離婚。2009年には「ターミネーター4」で声のみで出演している。彼女もやっぱりターミネーターから離れられない人生だろう。
アフリカ大陸の南東約300km、インド洋に浮ぶマダガスカル島。ゴンドワナ大陸の一部で、先カンブリア紀の岩石がその骨格をなしている。長いあいだフランスの植民地であったが、1960年に独立。1964年のオリンピック第18回東京大会にはマダガスカルから3人の選手が初めて参加した。なかでも、ランドリアンジャトボ選手(Jean Randriaujatavo)は、5000mの予選に出場し、だれもいないトラックを最後まであきらめずに走り続けた姿に大勢の観衆から拍手が寄せられた。だが同じ長距離1万mのセイロンのカルナナンダ選手は3周遅れで走り続けたことが、教科書に採用され(「ゼッケン67」という題名)、人々の記憶に残るようになった。光あるところに影がある。5000m最終走者マダガスカルのランドリアンジャトボ選手(表記ではランドリアンジャトヴォともある)の名前は完全に忘れ去られてしまった。カルナナンダ選手はボート事故で亡くなられたが、75歳になられるランドリアンジャトボ選手はお元気だろうか。
「ジュノ」のエレン・ペイジ。いえいえ、日本ではジュヌヴィエーヴ・ビジョルドでしょう。ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドは1942年カナダ・ケベック州モントリオールに生れる。フランス映画からスタートしたが、ハリウッド映画に招かれ国際派スターとして活躍。「大地震」「カリブの嵐」「愛のメモリー」「コーマ」「タイトロープ」。キュートな魅力で日本でも人気は高い。カナダのTVディレクターと結婚、出演作はカナダ映画のみとなって詳細はわからないが現役女優であるらしい。
20代の頃 30代の頃
1970年ころ、家に兄貴が通販で買ったリーダーズ・ダイジェスト社のセット物のレコードがあった。ポール・モーリアやヴィッキーのポップスが多数収められていた。「恋はみずいろ」「悲しき天使」などお気に入りだった。自分は長い間、「悲しき天使」はヴィッキーの創唱だと思っていた。実際はイギリスのフォーク歌手メリー・ホプキンである。日本では森山良子が日本語でカバーしている。とにかくヴィッキーのほうがパンチがあって好きだ。最近は新妻聖子が日本語で歌っている。「悲しき天使」も原詩の意味を理解しないで聴いていたが、いつかメリー・ホプキンの歌詞を理解したい。
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